前述の管理部門の多くは外交に関連する部門であり、あるロ岸には30〜40ヶ所にも上る。部門の間に隷属関係もないし、統一もされていない上、それぞれの制度があり、業務は部分的に同じであり、管理範囲と検査項目も重なっており、矛盾が時々現れる。それぞれが勝手にふるまえば、ロ岸の全体的能率を妨げるのは必然である。実例に示されているように、中央から地方まで各等級のロ岸委員事務所を設立、ロ岸の総合管理を強化するのは必要であり、ロ岸の効力を高める良い方式で、中国の特色のあるロ岸管理モデルである。
ロ岸総合管理部門及び主要責務
50年代から70年代の初めまでは、中国ロ岸の管理は主に検査部門により手分けして行われていた。1973年の初め頃、国務院は国発[1973]19号文書を発布し、ロ岸業務の成績を認めた上で、問題点を指摘し改善に関する意見を提示した。そしてロ岸業務の指導の一元化を強化し、「集中的に指導、積極的に協力、統一的に対外」という要求を提出した。対外貿易の急速な発展につれ、ロ岸の管理業務は情勢の変化に適応できなくなり、1978年、当時の対外貿易部長の李強が国務院ロ岸指導グループの設立を提言した。研究を経て、国家経済委員会は国務院の代わりに「国務院が港ロ岸指導の強化に関する通告」を立案し、国務院は1978年11月25日に国発[1978]245号文書で全国に発布した。これはロ岸総合管理部門の設立と強化に関する初の文書であり、ロ岸総合管理の方針と基本管理範囲を確定した。
情勢の発展につれ、1984年1月21日国務院はまた国発[1984]16号文書の「国務院がロ岸の指導の1層強化に関する通告」で国務院港ロ岸指導グループ及び事務所を国務院ロ岸指導グループに変え、管理の範囲はそれまでの港から水路、陸路、空路まで広げた。当時の国家経済委員会副主任の郭洪濤、国務院副総理李鵬、国家企画委員会副主任が前後してロ岸指導グループのリーダを担任していた。一軍、梁況白、石希玉、唐光前後して国務院ロ岸指導グループ事務所主任を兼任または担任していた。
この期間中に、対外開放するロ岸を持つ省、自治区、直轄市とロ岸のある都市も前後して相応のロ岸総合管理部門を設立した。1995年の末までに、全国で1種ロ岸229ヶ所、2種目岸350ヶ所、ロ岸委員事務所200余ヶ所、ロ岸総合管理職員3000人余りにも上った。
ロ岸総合管理部門の設立は、主にロ岸にある部門のすべてがロ岸の貨物、人員、交通道具の出入りを巡ってそれぞれの経営、管理などの業務を行っていて、経営部門の間、経営部門と管理部門の間、管理部門の間、及びロ岸の関係部門と地方の部門の間に、客観的には縦横交錯している関わりと矛盾があり、総合管理角度からそれを案配、管理し、ロ岸の運転を協調し、ロ岸の全体的効力を発揮させるための部門が必要からである。ロ岸総合管理は内部、外部、多部門、多段階の交差点にあり、矛盾が集まり、難点が多いから、即時に協調しないと、対外にも大きな影響を及ぼすおそれがある。