5) アルゼンチン港湾概要
?@アルゼンチン港湾の歴史
1. 1880年迄の段階
2. 1880年から1943年の段階
3. 1943年から1989年の段階
4. 1989年以降の段階
第1段階:
植民地時代から、この地域はプラタ川流域の両岸で発展してきた。民間人、特に商人は平和の時代でも戦争の時代でも商業と河川の航行を支配した。
1794年以降、ブエノスアイレス港の最初の工事を支援したのはこれらの民間人であったが、彼等はこの港の貿易上の重要性を理解していた。民間人は船を改造した。その目的は地域の航行を容易にするためであり、また、改造した船でこの地域と他の諸国との通商をするためであった。
このような状況の下で1880年に1つの段階が終了したのであるが、この段階は他国から来た移民に援助された段階であり、国内に外国資本金が定着した段階でもあった。その頃、牧畜生産物の需要は益々増えていた。現在であれば市場向けにもっと効率良い供給をしたであろう。
第2段階:
ロカは1880年にすでに「アルゼンチンは国内の端から端までに港は一つもない」と言っていた。ロカは将来を見通して、ヨーロッパやアメリカで既に起っていた事を考えていた。そのため大波の影響を受けない近代的な内港がないことに言及したのである。
良い河川港がないため、商品は小船で川を通ってブエノスアイレスに運ばれた。遠洋船は河口の大きい港の桟橋に接岸できなかったため、貨物はボートで停泊地の船舶まで運ばれた。
このため、アルゼンチンは民間資金により望んだ目標を達成し、世界的に優れた地位を得た。例えば、1860年の蒸気船サービスによって、大型船はもっと水深のある海域に停泊することが可能になったが、これによってそれ以前に提案された問題の最初の解決であった。
港湾システムはこの前提に無関係でなく、同じ方法を継続した。このようにして、アルゼンチンは開発目的の手段として公共権利を利用して民間事業を使ったのである。
こうした現実の中で、1880年に必要な桟橋と航路の建設のために国家港湾制度の法制化がはじまった。その目的は新しい船のために十分な深度を持つことと、港湾作業に不可欠な安全性と貿易増加に必要な迅速な荷積み・荷揚げ作業を可能にすることであった。