下元 幸男(葛西用水親水公園化促進協議会)
皆さんこんにちは、今ご紹介頂きました葛西用水親水公園課促進協議会とこういう長い名前をつけております。
皆さんもご存知かと思いますけど、私達はこの葛西用水の跡地事務の方をやらして頂いておりますけど、この用水協議会は61年の3月23日に結成しまして今日に至っておりますけど、その主旨はといいますと簡単にその主旨を読んで見ますけど、葛西用水は万治8年、1660年代官伊那半十郎忠カツによって作られた用水で利根川の水を引水して始めは幸手領の村々の用水であったから幸手用水と呼んだ。その後、享保4年、1719年伊那半左街門忠カツ、石川伝兵衛等によって新設工事が行われる古利根川を利用してまつぶせ船のためにそろいで付近の村々を灌漑し、田は松林村、現在越谷市を通って本荒川の河原ぞねためにそろい、ここから難渋して草加地方及び東京都の村々まで灌漑していくと、これが草加市史にはこのように記されております。この用水は東京火災用水とも呼ばれ越谷市、草加市、八潮市、足立区、葛飾区を灌漑し、灌漑した一番大きな用水であったが、戦後、首都東京中心とした都市化、市街化のなみや水田耕作地帯を消失せしめ、排水路に変貌したのが現状であります。
草加地域においては、延長3.2km青柳町、稲荷町の中央部を南北に流れ現在水田耕作面積16.2ヘクタール、現在ではほとんどなくなっております。又、空間としても貴重な存在となっております。しかし時代の波にはこうすべくもなく、渇水期にはゴミ捨て場のようになり、かつてのせいじはドブかの様相を帯びてまいりました。シジミは勿論のこと蛍、エビ、エビガニ等も見えなくなりました。自然は生態系のバランスが大事でありますが、そのほとんどが破壊されているのが現状であります。今何をしなければ、こうした反省からここに地域住民の合意と今の大人達の責任として次代に語り継ぐ葛西用水の親水公園化に取り組もうとするものであります。いっぱがまんぱとなり、越谷市、八潮市と運動し又八条用水の千住環境保存への一助となることをのぞみながら運動を進めてまいりたいと存じます。この呼びかけ行動が具体的な現実な姿親水公園となることを記述し設立主旨と致します。