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おそらく琉球王国が初めてだと思いますし、世界にも例がないと思います。私どもオンブズマンを含めて行政苦情相談を担当する者はやはり「ウマンチュ」の味方でありたいなということを、毎日心掛けて仕事をしておりますので、何かの参考にしていただければ有り難いと思います。

 

司会者(本田弘 日本大学教授)

先程の話にもありまたが、第1ラウンドで樋口さんは、時間がなくなって調停委員の立場でのお話が少し途切れてしまいました。どうか補足を続けていただきたいと思います。

 

樋口晟子(東北福祉大学教授)

後の方というより前のほうで、公正と公平といいますか苦情について、触れたいと思ってはしょったところがあったので、それについてお話したいと思います。

何が公正か、何が公平かということを、ただ訴えられるということではなく、もっと客観的にその苦情というものが正当化される条件が必要なのではないかというふうに思ったのです。昨年のフォーラムの中で司会の片岡先生(早稲田大学教授)が「この制度が人間の尊厳を守ることを目的とするものであり、そのためには各人は自分の自由意思に従って行動し、その行動に自己責任を負うことが必要だ」というふうなことを述べておられますが、これは非常に重要なことだと思うのです。日本の場合には、個人を主張する場合に和をもって尊しというところがあって、和も必要なのですが、それがえてして自分を殺してみんな仲良くしましょうというようなことになってしまって、訴える場合でもみんなが望むからやるのだというような形になってしまう傾向があるのではないか、やはり自分自身がきちんとものが言えるということのためには、自分というものをきちんと主張できる条件がなければいけないので、これはトクビルという人が「市民の成熟」というような表現をしたわけですが、私たちはまだ市民としての成熟さがちょっと足りないのではないかという気もしているわけで、もう少し客観的に苦情なり訴えなりができるように、単にエゴイスティックにそのことを主張するのではなくて、もっと評価されるというか、誰に対しても正当性を持つような形で訴えがなされるように、個人的な問題でももちろんいいのですが、単に利益につながるような形で訴えるということではない訴え方がまず必要なのではないかと思います。それと同時に、行政の側にはどうしても先例にこだわる態度が強いのではないか、阪神大震災の問題にしてもあるいはその以前にあった普賢岳の噴火の問題にしても、やはり何か先例にこだわって十分な行政施策がとれないような面があったように私は記憶しているわけで、もう少しそれにこだわらないやり方が必要なのではないかなというふうに思っています。

調停との関わりでいうと、先程挙げたような問題についてどこかでそれを取り上げる制度ができないだろうかとくこれが苦情救済制度にそのまま乗る問題なのかどうかは分からないのですが)、それもネットワークの中で出来れば大変ありがたいなと思っています。

 

 

 

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