立ての窓口どころか、自分のやられていることが、どこのお役所がやっているのかということさえもよく分からない。そういう方たちが、県庁の正面玄関を入ってすぐの所にある私どものオンブズマン室に飛び込んでくるわけです。それを管轄が違うといって断ってしまえば、これは裁判所と同じことになってしまうので、できるだけ親切に「どこへ行ったらどういうことになりますよ」「ここへ行ったらああなりますよ」ということで連絡をするようにしています。殊に県のものとして来られたのに国の関係の仕事がかなりあるものですから、そういう意味で、行政監察事務所との実質的な連携は取っています。もう一つ、インターネットをするにしても、相談担当者がバラバラになっているようでは、まずそのインターネットを作ること自体も大変です。オンブズマンと行政相談委員との間においても、行政相談で行政相談委員が回られる時にオンブズマンも一緒について行って、もし県サイドの苦情である場合には、それも吸い上げるようにしてみたらどうかといったような工夫を、この秋初めてやってみようと計画しています。
先程、樋口先生が言われたように、私的なオンブズマンと公的なオンブズマンとの区別がはっきりついてない。私どももいつも混同されて、「石田先生、派手ないいことやってますねぇ」と、官官接待を暴いて裁判を起こすことが私の仕事だというふうに思われています。この私的なオンブズマンと公的なオンブズマンをどういうな、うにはっきりさせるかというのが、これからの大きな問題です。先程、ニュージーランドでは確か、公的なオンブズマン以外にはオンブズマンという名前を使ってはいけないといったような規則か法律かがあるやに聞いたのですが、そういうことで、県民に対して公的なものだということをもっともっとPRして、理解してもらえるように努力する必要があるだろうと思います。結局、行政相談委員も含めて、日本のオンブズマン制度というのをどういうふうに持って行ったらいいかということを、これから探っていかなければいけない時期に来ています。行政苦情救済制度というのは、それぞれの国、それぞれの風土ごとに育っていくものだと思います。だから、日本に一番相応しい行政苦情救済制度を採っていかなければいけないと思っています。もう一つ、裁判所は法律を物差しにして黒白を決めますが、オンブズマンとか行政相談委員は、むしろ常識を物差しにして事を解決していくべきだと思います。そのためにいろいろやってきましたが、常識というものは、本当は法律の条文よりも強いのだということを、この頃つくづく感じとっています。沖縄は、明治12年まで、琉球王国という日本とは全く別の独立国でした。その上、戦後のアメリカ統治時代から本土復帰に至るまで、琉球政府という日本とは別の政府を持っていた土地柄です。風土、歴史、文化が全く違います。そこにオンブズマン制度が生まれたというのは、大変意味のあることだと思います。それで、日本型オンブズマンのーつの模範になるようなオンブズマンを目指して進んでいきたいというふうに思っています。
沖縄には、琉球王国時代から面白い言葉があります。先程、公僕とかサービスとかいう話が出ましたが、沖縄にはこれを端的に表す言葉があります。一般庶民、人民、大衆のことを「ウマンチュ」という言葉で呼ぶのです。「ウマンチュ」というのは、「御」の字を付けて「万人」と書きます。外国ではピープルとかシビリアンとかいろいろ言葉もありますし、日本では庶民、大衆、人民、臣民、民衆といったような言葉があると思いますが、その「庶民」の上に「御」の字を付けて、敬う感覚を持たせている言葉は、