6) 会社に勤めるより自分で独立したい
アルバイターの答えから、「好きなこと」に焦点を合わせる傾向がいまの若者である。まだ学生・生徒は現実に直面していないからとも考えられるが、「自分の好き」なことを核に据えて人生を生きていこうとしていることは確かである。そこでは、「お金」のウエイトは軽く位置づけられた新しい若者と仕事の関係がくみとれる。
会社に勤めるより自分で独立したり、仕事以外に情熱を傾けることがある、発想が柔軟だ、情報に鋭いという主張は、新しい人類の出現といえる。この意味は、「仕事」や「職業」は人生の座標軸でなくなったことを意味する。少なくともこの主張がもっと鮮明になったときの明日という彼方には、学歴競争の終焉を示唆しているのかもしれない。超エリート大学生やそこの出身者でない者たち、またその予備軍にとって「すきなこと」という理念は、「勉強さえできれば」「いい大学へ入れれば」という、いびつな現代的目標を内部からつき崩しつつあるのかもしれない。
仕事や職業で有利な地位を獲得するために、西も東も判らない小さな子供の時代から必死に勉強するというのが「発展途上国タイプ」の「競争」であった。成績が悪いだけで自殺する子供の多い韓国、日本以上に眠る時間を削って勉強する台湾や中国の子供たちなどは、典型的な発展途上国タイプといえる。
日本はなお発展途上国タイプで学歴競争の尻尾を引き摺っているとはいえ、「仕事」「職業」が人々の座標軸ではなくなり、そのことは「学歴」も人生の座標軸の地位を降りつつあることを示唆しているのではあるまいか。
ここのところ、銀行の倒産に続き山一証券などの大企業の倒産は、組織や地位に依存することの空しさを思い知らせるに十分だった。自分の力で生きること、資格をとること、自分の腕に依存することは「自分の好きなことをしたい」という新しい考えと結び付いた。それが、新しい人生の座標軸であり、発展途上国のもつ尻尾を切ることにつながるだろう。
アルバイターの自己概念の深い分析で得られた因子は、「流行に敏感なほうだ」など「新感覚」を思わせるものが一つ、「仕事に生きがいを感ずる」などの「保守的伝統」を思わせるものが一つ、それに「個人的な話しができる友人がいる」などの「人間好き」とでもいうべき三つの因子がでた。この関係をどのように感じているかをみると異彩を放つタイプがあった。それは、「新感覚」をもちながら「保守的伝統」を合わせもったタイプである。面白いことに家族や友人や他人との協調が得意でない。若者の二割がこのタイプで、なんとなく、「おたく的」な新仕事人をイメージさせる。
日本のマンガ・アニメは、いまや世界を席捲した。かつては、教室の隅で暗い眼をしていた「マンガオタク」が「好きなこと」を掲げて、世界的な文化にたちあげた。そういう柔軟性をもった若者たちであることも示唆した調査であったといえる。
(千石 保)