2. 働く価値観
アルバイトの目的が、「外食・普段の小遣いのため」がトップ、次いで「高額な商品やファッションのため」「社会勉強」「レジャー・遊行の資金作り」となっている。もろに消費社会、情報化社会での高校生が示されている。それに「異性の友人を得るため」の13%余りは、バイトを出会いの場として位置づけていることを認識させられる。
アルバイトのプラス面に移る。まず挙げられるのは、「お金の大切さがわかる」「知識や趣味が広がる」「違う年代の友達ができる」「同年代の友人ができる」「社会の一員としての自覚ができる」「生活にメリハリがつく」「異性の友人ができる」などであった。
プラス面の中には「外交的・社交的になる」の支持も4割弱もあり、バイトは一種の社交場となっている。明らかに楽しい生活場面へと歴史は変った。
アルバイトについての、もうひとつの場面は学校側の態度である。教育委員会の多くは高校生のアルバイトに対し、禁止したり、許可を得るなどの制限をおいている。実際にアルバイトをしている高校生は、禁止に反してアルバイトをし、あるいは許可を得ないでアルバイトをしている場合が多い。
学校側の態度は、違反に対しては見て見ぬふりをするか、或いは関心をもたない。これはある意味では、当然の態度といえるかもしれない。もともと、既にみたように、アルバイトは社会の中にあって企業活動に組込まれなくてはならない労働力の担い手となっている。このことは、社会の側も当然のこととして認めている。なかには、高校生の本来の在るべき姿は、勉強であってアルバイトではない、非行に走る機会を与えている、悪い遊びや悪い友達を作るなどと反対意見をいう者もみられる。
かといって、コンビニやファーストフード店が潰れてもいいから、高校生徒のバイトを禁止すべきだという声は聞かない。社会一般の人だけでなく、教育関係者からもそこまでの批判はない。教育界も社会一般も、高校生アルバイトによって、サービス産業が成り立ち、それによって便利な生活を営んでいることを認識している。この前提に立って、高校生のアルバイトを学習の良い機会とし、非行などに陥入らないよう工夫すべきであろう。
この点、アメリカの学校当局、保護者はじめ社会の側は、日本と全く違った考え方をとっている。その違った考えは「自助」の精神を基本としていることである。高校生はバイトをすることで、怠学したり非行に走ったりするのは、本人自身の責任だという考えである。
非行によって責任を問われるのは、高校生本人のほかは、その保護者であって、学校側の責任は全くない。少なくとも学校外の生活の行動、生徒の監督責任は保護者であって学校ではない。例えば、たまたま街で出会った生徒が、万引をしていることを学校の先生が発見したとする。
こういう場合は、しばしば裁判沙汰に発展することがある。もし、教師がこの万引生徒を叱責するとか、拘束すると、それは「保護者」の権利を侵害したと認められることがあるからである。権利侵害は損害賠償という民事訴訟に発展する。こういう事態を恐れる教師は、学校外での生徒の行動には、ほとんど介入しない態度をとる。