三次元的に理解するうえで非常に有益であるということだ。教科書に書かれた『強い結合『厚い層』といった表現の『強さ』『厚さ』がどういうものであるのかという実感から、アトラスではいま一つ腑に落ちなかった教科書の記述が、実習の作業を通じてあっさり理解できるという体験まで、実際に目にすることで学んだことは数知れない。自分たちで四苦八苦しながら剖出・同定を行うことは、そうした作業の記憶によって構造を印象づけ、はっきりと頭に入れることに有益だった。
それと同時に、自ら作業を行うことで、人体に対して冷静に対処することのできる感覚を身に付けることができたと思う。実習開始当初は人の体を切っていくことを恐ろしく残酷な作業と感じた。先生のメスさばきを見ながら『なんてことをするんですか!』と思ったりもした。しかし、大体に手を加えていくことに対するおそれにのみ囚われていては医者はつとまらない。手術することをおそれ、交通事故で折れたり曲がったりした体を見て脅えているようでは治療はできない。『病気を見て病人を見ない医者』が、患者さんの心をひどく苦しめるものとして批判されることは多いが、その逆に、人間の体をその構造や機能の観点から冷静に捉えて対応することのできない医者も、医者として役にはたたない。『病人』の人格に向かう意識と『病気や怪我』のメカニズムへ向かう意識の共存/切り換えが必要なのだ。解剖実習の作業は、後者の意識への切り換えを訓練してくれたと思