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解剖学実習を終えて

 

矢野 智之

 

ご遺体に始めてメスを入れた瞬間は今でも鮮明に覚えています。覚悟はしていたのですが、メスを持つ手は震えていました。それと同時にあまりにも突然に実習が始まったという気持ちにならざるを得ませんでした。僕が受け持ったこのご遺体には生前には家族があり、その生活があったわけで、今はその活動を終えてしまった体とはいえ、果たして僕にその体へメスを入れる資格があるのだろうかなどとも考えていました。メスを入れることへの抵抗と、またメスを入れなければ得られた知識は教科書だけによるもので想像上のもので終わってしまうという事実との葛藤、あまりにも多くの悩みを抱えたまま実習にとりかかったような気がします。

これらの気持ちを学問のためという気持ちで押さえ付け実習を始めたのですが、これからがまた大きな壁の連続でした。やはり人体というものは無駄がなくそう易々と学生の前に、その全てをさらけ出してはくれなかったし、また人の体を探究するためにはかなりの体力を必要としました。その個体差に驚かされましたし、ちょっとした手違いでもう元に戻すことができないという繊細さに圧倒されました。実習をしながら、どうしてこうも繊細な人の体に対して手術というものが可能になるのだろうかと常に疑問に思っていまし

 

 

 

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