を学ぶ。考えただけでも、頭がパニック状態におちいってしまう。解剖という言葉は私の思考能力を停止させ、すべての行動を抑制してしまうのだ。この解剖学実習は、私を非人間的な機械へと作り上げるためのプロセスなのであろうか。それとも、私は耐えられずに狂ってしまうのか。そんな疑問もしくは恐怖心にとらわれつづけて始まった実習も、残すところわずかとなり、何とか狂わずに実習を終えられそうになった今日の私にもまだ、解剖学が倫理的に許されるかどうかという問題には明確な答えを提示することができない。しかし、はっきりと感じるようになったのは、自分という人間は、普通の人々と違って、人体を扱う職業をめざす人間であり、私にかせられた責任は非常に重大ということである。そして、人間を解剖することによってしか得ることのできない心の痛みも同時に感じた。
解剖学実習とは医療という特別な分野を専攻する者だけに与えられる最も大切な試練であり、未熟な人間が成熟するためのプロセスである。私の考えでは、人体の構造を学ぶということ以上に、一人の人間として、精神的にも肉体的にも限界の状態においこまれるということが解剖を学ぶ意義であり、そこから人間的な「痛み」を感じることが重要であると思われる。二十年の人生で最大の痛み、この痛みを糧として、これから生きていこうと強く感じた。