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あろう。顔を真っ赤にして怒ることもあり、腹をかかえて大笑いすることもあった。考え悩み、葛藤することもあったであろう彼は人を愛し、また愛されながらこの世を後にした。彼は誰一人として同じということはないかけがえのない生涯を終えた。そしてその後暫くの時を経てお互い誰なのかもわからず私と彼は出会ったわけであるが、私は彼のからだから学ぶことのほかにもう一つ学ばなければならないことがあった。

私は認めなければならない。自分は何か見落としていたことがあったということを。彼はその献体という、人生最後にできるボランティアにおいて私たちに「与える」ということの精神意義を示してくれたのではないか。そこには医師・歯科医師というものの本質的なあり方に通ずるものがある。生前彼はきっと自分の生に対し真剣な人だったのだと思う。生きることに一生懸命だったのだ。彼は「与える」ということのその真の意義を知っていた。そして献体という形でそれを私たちに教えて下さった。気がつけば私は彼が生前から真願していたであろうその気持ちを等閑にしていた。私たちが人体解剖を通して学ぶことは故人の有難い御意志に報いるよう勉学に励むことだけに留まってはならない。医療に従事するものとしての精神を体得しなければならないのである。即ち「与える」ことの意義を。

私はこれからも学び続けなければならないだろう。目下本当の解剖実習はこれから始まるように思えてならない次第である。

 

 

 

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