私と献体
小田原 澄子
約二十年位前、知り合った二十歳そこそこの女性が、アイバンクに登録をしてきたと聞いて、偉い子だなと感心しました。目の不自由な人に光を上げたいと語る彼女、私にも登録することを勧めて、それからずっと心の中にそのことが消えずに、時々思い出しておりました。その頃はまだ両親が健在で、何となく話し出し難く日を重ねていましたが、十年前頃から不整脈が出て、度々病院のお世話になるようになり、三年前には母も送り、独りになりましたので、親しくして頂いている癌研の先生方に臓器提供の相談をしましたところ、それなら献体を勧めるといわれ、子供にも相談したら何の問題もなく賛同が得られ、白菊会へ申し込んだ次第です。
今は献体希望した故か心が安らかで、日々体を大切に、楽しく生きめことを考えております。
(九・八・十八)
安らぎと青春
都甲昌司
六十代も半ばを過ぎると、人間「死」に対する怯えは無くなる。
ただ、此の世に人として生かされている限り、何かお役に立つ事をしておきたい、という思いは心の中枢に残る。
平成六年五月、アルツハイマー病で十二年間の病院生活後、言葉と表情を無くしたまま妻は静かに逝った。
死後の事など自ら考える力も無い儘である。
月二回の訪院時、意志の光を失った妻の眼を覗き込みながら、私と同様、白菊会への入会について話し掛けた。
勿論、返事が得られる訳ではない。しかし世の為、人の為に役立つ事を、私は妻にもさせてやりたかったのである。
そして本願成就後、連絡を戴いて妻の遺骨を受け取りに、私は大学へ赴いた。
暑い日だったにも拘らず、三人の教官が黒い喪服に威儀を正し、解剖を実施した二人の学生と共に最大限の敬意を示してくれたことに、私は深い安らぎを覚えたのである。
青春とは 人生の時にあらず
心ざまなり
人は 時を重ねる事のみに依りて
老いるにあらず
理想を失うとき 初めて老いる
此の詩を胸に、私は今、柄にも無い大きなプロジェクトに挑戦している。
来年二月に古稀を迎えるが、私の気持は、青春真っ只中?なのである。