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献体運動のはじまり

●「人体解剖学実習」が医学・歯学教育のなかで、もっとも大切な基礎となる課程といわれながら、この実習に必要なご遺体が不足し、解剖学教育に大きな支障を来たした時代がありました。特に、昭和30年、40年代は医学教育の危機とさえいわれておりました。当時から、医科の大学では学生2名に1体、歯科の大学では学生4名に1体のご遺体を一つの基準にしておりましたが、全国の大部分の大学がその基準を満たすことができず、極端な場合は基準の5分の1にも満たない大学もありました。

こうした医学教育の危機ともいえる状況を憂えた方がたが、少しでもお役に立つことができるならば、と献体を思い立ち、大学に申し出られたことがきっかけとなって献体運動が始まりました。しかし、献体運動はたんに教育用ご遺体の不足解消に役立つというだけではなく、前のページで述べましたように、医師や歯科医師となる者に必要な心構えを教えるという点でも重要な意味をもっています。こうして、献体運動はより多くの人々に支えられ、献体の輪がしだいに拡がり、現在の発展をみるに至りました。

 

献体登録の現況

●現在、わが国には献体篤志家団体が54団体あり、北は北海道から南は沖縄まで、献体登録者の総数は153,000名を越え、そのうちすでに献体された方は約43,000名に達しています(平成8年3月現在)。これをみましてもわが国の医学・歯学の大学で行われた解剖学実習への貢献は大なるものがありました。

●最近は登録者数も増加の一途をたどり、実習をすべて献体されたご遺体で行える大学がふえておりますが、全国的にみますと習慣の違いなどで登録者数の少ない大学もあり、また、登録者数の多い大学では、登録を一時見合せているところも多くなっております。このように最近は、大学ごとの登録者数のアンバランスが目立つようになってまいりました。

●昭和54年の秋に、日本学術会議は内閣総理大臣にあて、<献体登録に関する法制化の促進について>という勧告を行いました。法制化の実現は医学教育における献体の意義を国が公けに認めることになり、重要な意味を持ちます。この勧告をきっかけとして、国会でも献体に関する論議が始まり、昭和57年度からは献体者に対する文部大臣からの感謝状贈呈が行われるようになり、また、「医学および歯学教育のための献体に関する法律」が、昭和58年5月に国会で可決、成立し、同年11月25日に施行されました。

 

 

 

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