変化の原因となることが少ないように見えるが、エコツーリズムにはそれまで観光地でなかった地域および自然環境に対して観光客が積極的かつ直接的に関わるという側面がある。そのような場所への観光客の浸透は、計画策定と管理のシステムが整っていたとしてもより大きく深刻な長期的変化をもたらす場合がある。遠くから眺めることだけを許すマス・ツーリズムよりも、時が経つにつれて大きな環境的損害を与える可能性がないとは言えないのである。このような警鐘が的を射たものかどうかは10年にも満たないエコツーリズムの経験からはまだ判断できないが、エコツーリズムが急速に普及することの危険性を認識する必要はありそうである。したがって、この点でも当面はマス・ツーリズムを中心に据えた観光の重要性は揺るがないと言える。
これらから考えると、エコツーリズムにとってもマス・ツーリズムの存在は必要であることがわかる。エコツーリズムはマス・ツーリズムのアンチ・テーゼなどではなく、マス・ツーリズムがあるからエコツーリズムが成立すると言っても過言ではない注40。
ここまでの検討から、エコツーリズムとマス・ツーリズムとはお互いにとつて必要な存在であり現代の観光において影響を与え合いながら共存しているという認識に至る。それ故、対立関係に置かれるのではなく補完関係にあると考えるほうがより適切であろう。
2. 持続可能な観光に向けての模索
ここまで、エコツーリズムという観光形態について様々に検討を加えてきた。その過程において、エコツーリズムは必ずしも現代における理想的な観光形態ではないと言えること、そしてマス・ツーリズムのアンチ・テーゼという位置づけは正しくないと思われることが明らかにされた。そこでここでは、これらを踏まえた上で現代の観光におけるエコツーリズムの役割について改めて言及したい。その考察の材料として、ここでは先に?章において留保したエコツーリズムの厳格な定義の必要性についてもう一度取り上げる。
さて仮にエコツーリズムをあくまでも厳格に定義するとしよう。その場合、ある観光活動がエコツーリズムに該当しているかどうかという線引きを行うことを重要視することになり、結果としてそれはその実現の可能性が狭められた限定的な観光形態として定義されることになろう。しかし、エコツーリズムをこのように定義することにどのような意義があるのだろうか。その存在によって世界中の貴重な自然資源の中のいくつを持続可能に保全することができるのだろうか。そのような実現することが困難な「狭義のエコツーリズム」の適用によって利益を得る自然地域の数は極めて少数とならざるを得ない。
観光と自然環境の保全とを総合的に考えた場合、むしろエコツーリズムの考え方を全体的な観光のあり方に利用していくこと