は、観光委員と国立公園の委員とが共同で行った。観光委員の方がずいぶん多くて、国立公園委員は非常に少なかったと思う。」と述懐しており、国立公園の設置問題に深く観光政策が関与していたことを証言している。併せて、国立公園周辺や外人利用の多い夏冬期娯楽施設を持つ観光地に、大蔵省預金部の長期低利融資によるホテルが建設される。さらに、そのような外客用設備の充実具合と外客の往来状況を勘案して、昭和10年、重要観光地点が国際観光委員会によって選定された(図-4)。
また、リゾート地として開発するというコンセプトも存在していた。昭和9年に国際観光局が出した「国際観光事業経過概要」という報告書の中には、「斯く外人ガ各地ノ避暑地二参リマスコトハサンマーリゾートトシテノ吾国ノ発展ヲ示スモノデ洵ニ結構ノコトト存ズルノデアリマス。」という記述がある。
(3) ?期(昭和20〜45年)
戦争後の5期(昭和20〜29年)には、国際観光ルートとそのルート上の観光地の整備は国土計画上の重要政策として位置づけられる。
まず、観光事業審議会の設置早々の昭和23年、その答申「観光地帯、観光都市の選定」の中で、「経済復興5ケ年計画」の中に審議会の選定した観光地帯や観光都市を織り込むことを提案しており、経済復興とリンクさせようとしていたことが窺える。
さらに、昭和25年に制定された「国土総合開発法」では、条文の中に「観光に関する資源の保護」が唱れている。国土総合開発法に基づく特定地域の指定対象には、観光都市では仙台、松江等、観光地帯では仙台塩釜、吉野熊野、阿蘇等、観光事業審議会が示唆した地域がいくつか選定されている(図-5)。
観光を主要目的とする特別都市建設法も同時期に制定され、別府、熱海、奈良、京都等(昭和25年)、松山、軽井沢等(同26年)が指定された。同法により特別都市の都市計画の中に観光施設整備が含まれることとなった。