クの開催に向けて、政策の意義は5、6期と変わらず、引続き手厚く政策が展開された。すなわち、政策維持期と捉えられる。
5. 国際観光政策の国土上での展開の変選
各時代ごとの政策の特徴をふまえ、その政策の国土上での展開の史的変遷を、外客に対する観光地と観光ルートの選定、及びそれに伴う交通網や宿泊施設等の整備の観点から明らかにする。
(1) ?期(開国〜明治44年)
1期(開国〜明治25年)の中で、すでに政府により実質的な観光ルートが選定されている。当時、外国人の旅行範囲は「外人遊歩規定」により居留地から10里以内と制限されていたが、日本の国内旅行の制限緩和を求める外国人の要請を受けた政府は、医療もしくは学術目的に限って認めた「NUMBEREDROUTES」と呼ばれる20のルートを設定した(図-1)。居留地を出発点とし国土の各方面を周遊するものであった。
2期(明治26〜44年)には、外国人国内旅行の自由化がなされ、公式の観光ルート限定はなくなるが、政府支援を受けた「喜賓会」(後述)が選定したモデルコースは存在した(図-2)。それは、横浜、神戸、長崎の当時の国際港を結び、この期前後に登場した国土縦貫鉄道路線(東海道、東北、山陽線等)に沿って仙台―長崎間を観光するものであり、特に京都で長い滞在日数が取られていた。