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配置される。現在、日本からのインバウンドが多いため、日本語能力と日本的な習慣、つまり、日本人の特性を理解している日本人や日系人が多く起用されている。バックオフィスでは、顧客の特性に関係なく、職務能力により配置が決定されている。一方、アウトバウンド業務を行う組織では、フロントラインには顧客に合わせた従業員を配置する。顧客が日本人や日系人であれば日本的な素養をもつ従業員が配置され、反対に顧客が非日本人であれば非日本人の従業員が配置される。だが、バックオフィスには、インバウンドの組織同様、職務遂行に必要な能力を備えた人物が起用される。しかし、アウトバウンド業務を行っている拠点は少ない。

つまり、旅行企業は基本的に日本人、日系人、日系企業をメイン・ターゲットとし、日本人が訪問する地域や好みそうな地域に進出している。そして、日本人旅行者が満足するような日本的なサービスを提供する。海外拠点には日本からの出向社員が多く、現地スタッフにも日系人や日本語能力のある人材を採用する。海外においても言語、習慣、伝統などを同じくする日本人に焦点を当て、自民族を中心に活動しているのである。

 

2. 製造企業の海外進出の特徴

日本の製造企業は長年、輸出を中心に海外進出を図ってきた(吉原編、1992:4)。第1期、明治の開国から1960年頃に至るまでの輸出形態は、大部分の企業が総合商社などの販売網を通じる間接輸出であった。それは、海外市場に明るい総合商社の販売網を利用することによって、製造企業は自社販売網の構築に必要な販売投資を節約することができたからである。また、当時輸出を行っていたのは主に鉄鋼、化学、肥料、繊維産業などで、輸出商品が差別化マーケティングを行う必要の少ない中位技術の製品だったからである。

ところが第2期、1960年代半ばより輸出商品が中位技術の非差別化製品から差別化商品、高位技術品へと移行した。電機、自動車、機械などの製品は差別化マーケティングや技術サービスを必要とするにも拘わらず、間接輸出ではメーカーとユーザーの間に効率的な情報ループを形成することが難しい。そこで、製造企業は自社の輸出部門を通じる直接輸出へと移行した。国際マーケティングの必要性から海外事務所、販売子会社、国際事業部門を創設し、製造企業が主体となって経営の国際化を進めるようになった。もちろん、現地生産も行われた。繊維企業と電機企業を筆頭に、現地国の輸入代替工業化政策や現地化の要請に対応するため、発展途上国で現地生産が展開された。日本企業は現地の安価な経営資源を利用しながら、確保した市場を防衛するために現地生産を行った。

そして第3期、1970年代後半から1980年代にかけては先進国での現地生産を開始した。1971年、固定為替制から変動相場制へと移行したことにより、円高傾向が始まったからである。日米貿易摩擦をはじめ、ヨーロッパなどの先進諸国でも保護貿易主義が高まると、日本製品に輸入規制が設けられた。日本企業

 

 

 

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