10月20日(月)
20時30分、香港経由のベトナムからの便は45分遅れで成田空港に到着。アライバルゲートで「Ms.EaSola」と大書きした紙をかざした私のところに小柄な女性が現われた。黒いシンプルな服に身をつつみ小さなカート付きのスーツケースと黒い手提げ袋一つで彼女は東京にやってきた。私は、事前に渡された資料の中の祖国の政治的背景や彼女の生い立ち、そして取材記事上の彼女の言葉から、とてもエキセントリックで神経質なアーティストをイメージしていた。しかし、今ヨーロッパ中の注目を集める話題のコリオグラファーは、とても穏やかで、聡明な笑顔が印象的な人だった。早速、バスで東京に向かう。7年前に日本に滞在したことがある、という彼女に今の東京はどういう印象を残すのだろうか。
ホテルにチェックイン、23時からの打ち合わせを前にご飯を食べたいという彼女を連れてレストランに飛び込むが閉店間際。青山一丁目で目立つ明るい看板は牛丼屋だけ。さすがに日本での最初の食事が牛丼じゃあとその前を通りすぎようとすると、店を覗き込んで、「ねぇ、ここはレストランでしよ?」と聞く。
「うーん、レストランというか、典型的ジャパニーズ・ファストフード・ショップでメニューはほとんど一種類なのだけど」
「かまわないわ。ファストフードをちゃっと食べてホテルに戻って打ち合わせにしましょう」
ということで、牛丼屋に入った。牛丼の並を二つ注文する。彼女は好奇心丸出しで、
「ねえ、私達以外は皆スーツを着たサラリーマンよ、どうして?」とか、前に置いてある紅生姜をつまんでみたり、熱心に店員の人を観察している。牛丼をたいらげて、ホテルにて打ち合わせにはいる。事務局の後藤、吉井を交えて明日からのスケジュールや段取りを確認。深夜1時過ぎ打ち合わせ終了。
10月21日(火)
9時30分にホテルのロビーで待ち合わせ。世田谷パブリックシアターで明日からはじまる田中泯さんの「ムンク生命の踊り」のリハーサル見学と楽屋見舞。7年ぶりに再会するエアを歓迎するメンバー達の声がそこかしこで上がる。「渋谷で楽器店を見に行きたい。私の作品を創る上で必要なシンセサイザーがあれば買って帰りたいの。場所の地図も書いてもらったし一人で歩いてみるわ」
15時にハチ公前で待ち合わせて再び合流。お茶を飲んで休憩。店の外を行き交う若い女性を見ながら、
「日本の若い女性は、みんな化粧も服装も普段から必要以上にきれいに着飾りすぎているように見える」
池袋の東京芸術劇場小ホール1で劇団解体社の『零(ZERO)カテゴリー』を見る。
若い人々によるとても若い表現、もっともっと作品創りに集中力を持ってみんなが臨む必要性を感じたわ」「集中力とは、具体的にいうと?」の間に
「単純に稽古時間をどのくらいとるか、ということもあるし、作品のテーマ、本質をどのくらいみんなが共有できるか、ということもそうね。私はそのために話す時間を惜しまないわ」
例えば、エアの一本目の作品はどのくらい時間をかけたのか。ベトナム南部の50代から70代の女性14人と少年一人の出演者でできた作品である。
「4カ月間稽古をしたわ。朝の6時から夜の9時、10時まで、昼に1時間、午後に1時間、夜に1時間の休憩をとって、 1日も休みをとらずに。でもそれは、彼女たち(出演者)の意向を受けてそうしたの。彼女たちが、自分が舞台にたてるようになるために必要な時間としてその稽古を望んだのよ。彼女たちは、真剣に稽古に臨み、なぜ自分がそこにいるかということを本当に理解してくれたわ。だから、あの作品ができたの」「一人も脱落者は出なかったの?」
「一人もね」
「日本では、舞台だけで生計をたてられる役者やダンサーは少ないわ。舞台に立ち続けるために、アルバイトをしたり他の仕事をしながら、稽古をするために満足に稽古時間がとれない。そのために集中力のない舞台と思われても仕方のない作品になることも多い」
「そういうリスクは私だって負ってる。でも、わたしは、みんなにプロとして舞台に立ってもらうためのギャラを保証した上で、稽古をしてもらうわ。そうしないといい作品は生まれない。また、そうできる作品がいい作品とも言えるのではないかしら。みんなにそれなりのギャランティーを保証しなければならないから、私にはお金がたまらないけど、私には作品が残るの。もちろん、これで私も生計を立てているわけで、私の日々の生活費は賄っているけれど」
池袋でラーメンを食べた。
「日本のラーメンはとても美味しい。ベトナムにも麺はあるけど、全然違うから帰る前にもう1回は必ず食べたいわ」
まだ十分電車のある時間だったが、「タクシーで帰ろう」という。
「私にとってリラックスできる時間は、タクシーの中でたばこを一服しているときなの。東京でもそうだけど、べトナムでもタクシーを使うことはもちろん贅沢をことよ。でも、私は、大金も車も広い家も所有しない分、こういうところにはお金をかけて自分の神経を休ませることにしているの。普段、考えなきゃいけないことが、コリオグラファーとして、カンパニーの代表として、作品のこと、ツアーのこと、メンバーのこと、稽古のこと、国内での公演のこと、他にも山ほどあるから」
その後、ホテルで作品の写真を見せてもらう。
10月22日(水)
10時より世田谷文化生活情報センターセミナー室で行われた、ヴィデオプレゼンテーション、日本の演劇状況及び日本のダンス状況のレクチャーに参加。インターナショナル・ヴィジターズ・ウィーク(IVW〕で来日した海外のプレゼンター達と交流。お弁当で昼食を済ませ、エア自身のレクチャーの準備に取りかかる。エアは、スライドとビデオデッキの使用法を入念にチェックする。こちらでエアのレクチャー参加者のために用意した、彼女のプロフィールに何がおかれているかを確認して、
「その資料は配らなくてもいいわ。誰よりも一番良くわかっている自分自身のことだから、自分自身の言葉で語ることによる説得力を信じたい」
14時から2時間のレクチャーを行った。それは、彼女の生い立ちから始まり、こうした創作活動を始めるに至った経緯と、何を感じ、考えてきたかを自分の作品のスライドとビデオを交え語るものだった。