●エア・ソーラについて
東京国際舞台芸術フェスティバルの特徴の一つとして、アジア太平洋地域のアーティストの交流を掲げているが、97年はその一環として、ベトナム人振付家エア・ソーラを招聘した。
日本を含め、この地域の21世紀の表現を考えるとき、民族の記憶としての固有の文化と現代では都市部における世界共通の文化になりつつある欧米の影響の間で、アーティストはいま一度、自らの立脚点(すなわち「今、私がいるところ」)を確認する必要があるのではないかと思われる。この情報化社会の中でその作業が難しいのは、個人の体に二つ、あるいは複数の文化が無意識のうちにしみ込み、融合しており、相対化することができないからである。それでも近年、このような問題意識をもったアーティストの「自分探し」(それは同時代の中での地理的な立ち位置の追及だけでなく、歴史をさかのぼる壮大なスケールなものであるが)の作品が世界でいくつか見受けられる。そのようなアーティストの一人がエアーソーラなのである。
エア・ソーラは、ベトコンの父とポーランド系フランス人の母の間に生まれた。10代の頃故国を脱出しフランスに入国して以来、パリに在住しているが、ここ何年かはハノイとパリを往復する生活を送っている。パリに着いたときは家族もバラバラで、言葉の通じない国で立った一人、大変な苦労をしたらしい。そのなかで「一体自分は何者なんだろう?」という問いが彼女を表現活動へと駆り立てたのである。ある日、彼女の野外パフォーマンスを見た一人の日本人舞踏家田中泯との出会いが彼女の第一の転機になる。その後90年にドイモイ政策でベトナムに入国ができるようになると、彼女は早速ベトナムに戻り、戦争で壊滅状態にあったベトナムの伝統芸能の記録をはじめた。それがエア・ソーラの第二の転機である。そこでであった農民の老婆たちと作った作品『SECHERESSE ET PLUIE(千ばつと雨)』が、ヨーロッパで高く評価され、コンテンポラリーダンスの拠点とも言うべきパリの私立劇場で公演を行ったのである。97年にはベトナムでの第2作目『IL A ETE UNE FOIS(むかしむかし)』が初演され、本年4月からヨーロッパツアーが予定されている。エア・ソーラは率直で、自分の信念を貫くための強さを持ち、人を思いやる気使いを見せた大人の女性だった。その彼女の東京の印象は「キッズの文化」だと言う。この文化を背景にしながら、日本のアーティストがどんな作品を作っているのかまでは6日間という短い期間では、残念ながらつぶさには紹介できなかった。けれども、ここに始まったエア・ソーラとの交流を一回限りのものにするつもりはない。フェスティバルが、次々に目新しいものを追いかけるだけの消費文化とは無縁なことを、ぜひとも彼女に示したいと思っている。
(記:後藤美紀子)