ダンスの作品を創るには
ここ10年くらいのダンスを取り巻く社会環境の変化は著しいものがあり、舞台芸術の中でも最近活発になってきたジャンルであると認識されているが、それにもかかわらず観客数は演劇に比べると未だに圧倒的に少ない。その原因の一つが「お話」がないこと、そのために一般の観客にとって「取っつきにくい」ものであることが考えられる。
このフォーラムの第一の目的は、ストーリーのないダンスの作品がどのように立ち上げられているのかという方法論を、振付家と制作者が共に考える場を提供することであった。そもそも舞台芸術作品としてのダンスは、単なる動きの羅列ではなく、抽象的な概念の構成物である。ただ身体がよく動くというだけでは、ある一定の時間と空間を満たした作品を創ることが出来ないのである。 さて、このような企画を実施しようとした時の最初の難関は、誰に講師をお願いするかということであった。言葉を媒体とする演劇に比べ、ダンスの創り手は人前で話すのが苦手という人が少なくない。作品を立ち上げる方法論を持ち、かつそれを客観的な言葉で他人に説明が出来る人という条件をクリアする振付家のうち、今回は和栗由紀夫さんに引き受けていただくことが出来た。
和栗由紀夫さんの方法―舞踏譜の存在
和栗さんは舞踏の祖、土方の直弟巽である。和実さんの振りを立ち上げる方法は、上方舞踏譜というイメージの素材集ともいうようなものをもとに、振付家とダンサーがプロセスをことばで説明し合いながら、イメージを膨らませていくというやり方である 一方でダンスはことばでは表せないものを表すためにある。素朴に考える人もいるが、それを前提としながら、それでも出来るだけことばでイメージを伝えようとする努力が必要であるというこのことばには大いに同感させられた。舞踏というと(振付家によってずい分と違いはあるにせよ)、内省的であるというイメージか強かったため、「内的感情の表出」なのかと私自身も誤解していたが、この点についても実は全く反対で森羅万象の「ものになる」ことだと説明があった。