ところが現在では、スイスの時計製造業は高い成果をあげる企業となり、 1日に何十個もの腕時計を作ることができます。しかし現在、音楽家が同じオペラを作るのであれば、モーツァルトの時代と同じだけ、6ヵ月かかってしまいます。今の比較ははっきりとしたものでしたが、それが説明していることが一つあります。機械や経済は進歩しても、演劇に限らず、生きた芸術活動というものは手工業的であり続け、したがって赤字を余儀なくされてしまうということです。現代の生活費は上昇していますので、我々は自治体からの助成金には存せざるを得なくなっています。自治体については、ヨーロッパでも国によって違いがありますが、一般に三つの段階を区別しなければなりません。
国家、市、それから地方です。市と地方はここ何十年かで、より密接な形で文化的な機能を理解し、文化に対するアプローチや、文化に対する投資の方法を変えてきました。フランスにおいては、各県が文化に割く文化予算は20年前に較べて4倍になりました。地方においては5倍になっています。一つの例ですが、フランスの国家予算において、全体に占める文化予算の割合はほぼ1%です。
その1%の中で演劇には10%が割かれています。10年ほど前からヨーロッパ、特にフランスやドイツの演劇は、映画のイメージや作り方に悪い影響を受けているようです。現在、演劇は演出家や美術・照明・音響などのプランナーの独裁状態へと移行しています。一種のバランスができてしまって、特権的な誰それの演出を観にいく、誰それの装置を観にいくといったことがメインになり、劇作家の作品を観にいく、あるいは俳優を観にいくのではなくなってしまいました。また言わなければならないのは、幾つかの助成金の使われ方から、ずれが生じてしまったことがあるということです。
ヨーロッパ全体について一般に言えることですが、常設の、俳優が構成する劇団というものは存在しなくなってしまいました。唯一、常設の劇団が技能しているのはドイツだけです。それ以外では、国際的な性格をもった有名な機関である劇団はいくつか存在していますが、大部分の俳優は、非常に失業率の高い、普通の俳優の市場に出なければなりません。俳優に対し、わずかながらも失業保険が出る制度を持ちつづけている国もいくつかはあります。しかしその制度も現在批判されています。
日本では失業がないそうですから、皆さんは、こうしたことが非常に超現実的な問題だと思われるかもしれませんが、何年かして、今までわずかな仕事と失業手当で生きていた俳優たちが大変危機的な状況に陥ることは必須です。ヨーロッパ、特にフランスにおける中心的な問題の一つに、自治体からくる助成金の問題があります。劇場は一般に、地方や県、スイスであれば州など、自治体からの助成金でまかなわれていることが多いのです。
つまり全体的に国家は、劇場に対する助成から手を引く傾向にあります。本当にアーティストに対して自由を保証できるのは国家だけだ、と私は確信しています。というのは、民間資金であればなおさらのこと、地方自治体も、選挙結果を考えて助成を行っているからなのです。地方にしても県にしても、かなりの資金を持っていて、それを自由劇場に対して配分します。その際には必ず選挙結果を考えた圧力がかかってしまい、自由な創造を妨げることになります。ヨーロッパにおける劇場の問題についてお話しする際に、とても重要で、必ず言っておかなければならないことがあります。制度化された、助成金を受けて機能している劇場のネットワークを作っている国のリーダーは、ドイツとフランスです。