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私達が『何を探しているか』が全てである」。以上が今日の私の話の導入ですけれども、今日私が話をしてほしいと言われたテーマはいくつかあります。まずヨーロッパおける演劇・劇場の状況についてです。そして、私たちの劇場がヨーロッパにおいてどのように機能をしているか。ヨーロッパといっても多くの国々がありますが、スイス、フランス、ドイツが、演劇という点では今日参照すべきヨーロッパの国となっています。
そしてまた同時に、劇場の経営とアドミニストレーション、管理についても話してほしい、また未来の展望についても話してほしいと言われました。実に様々なテーマにわたっていますが、なるベく簡単に本質的なことだけをお話しするようにしたいと思います。今日、今からしばらく、一緒に時間を過ごさせていただきますが、なるべくこの時間が生き生きとしたものになるようにしたいと考えています。最初は用意してきた原稿・メモを少し読み上げますが、それはなるべく短くして、その後、なるべく早く質疑応答に移りたいと思います。今日の話が、講演会などという一方的なものにならないように、質疑応答になるべく多くの時間を割きたいと考えています。
少し歴史についてふれたいと思います。歴史は重要です。日本の方々は歴史がどれほど重要かおわかりになっていらっしゃるでしょう。私が申し上げるまでもなく、我々は日本の歴史から学ぶところが多いのですが、一言だけ演劇の歴史について申し上げたいと思います。古代ギリシャにおいては、演出が民主主義の軸となっていました。
アテネの民主主義の軸だったわけです。古代ギリシャには、コレゲイという制度がありました。コレゲイというのは、高額納税者の人達が集まって、自主的に、あるいは指名をされて、公演の費用を負担する、一種のメセナのシステムでした。これは一種の公共サービスの義務だと考えられていました。つまり演劇の上演を行うことが、大使館を作る、あるいは戦車や戦艦を作るのと同じような、当局の義務だという考え方です。そうして公演が行われ、さらに、貧しくて演劇の公演に行くだけの費用がない人達が、劇場に行くための補助金を受け取る制度もできていきました。
中世においては都市が宗教的な祭りの費用を負担しました。したがって演劇は、古代においては市民教育の手段、そして中世においては宗教教育の手段となったのです。このように政治権力は絶えず演劇に、共同体に対しての役割を与えてきました。古代から近代に至るまで、演劇の歴史の中には国家権力、政治権力が介入する瞬間が多くありました。
このようにして演出は政治の道具として使われてきたわけで、このことが我々の活動の基盤にあり、現在もまだそれは続いていると私は思います。17世紀には、劇団に、王侯貴族が給金を与えたり、作品を注文してその費用を負担したりということがありました。しかし、これは財政的利潤を与えるというよりも、王がその劇団を正式に認めたということをあらわす流儀だったのです。一種のメセナの制度ではありましたが、王侯貴族から与えられる資金は、補助的な役割しか果していませんでした。そのことは、王から与えられる給金や給付金や、作品の注文によって入る収入よりも、興行収入の方がずっと多かったことを見れば、よく分かります。時代が過ぎるにつれて、演劇は赤字企業になりました。これが我々の現在の状況です。
このような経済的な変化を示す、具体的な例をあげましょう。これは一種のイメージですが、とても顕著なものです。モーツァルトは6ヵ月かけて「ドン・ジヨバンニ」を作曲しました。6ヵ月というのは、当時のスイスの時計職人が腕時計を1個作り上げるのと同じ時間でした。

 

 

 

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