だからこれも結果として喜劇だったのか悲劇だったのか、今日はちょっと最後の演出とか変えましたので、お客様に戸惑いがあったかなと思う。昨日は歌でそのまま終わったんですけど、今日は最後に銃声が聞こえるところを入れたので、お客様の反応がややマジになったっていう感じがしましたけれども。それは、昨日の公演を見てから演出が相談して、最後に今日変えたところです。
60%理解し合えれば、後の40%は全然違うっていうのがあっても、一緒にできる。
ロディ・ベラ●こういったラブ・ストーリーは歴史上フィリピンと日本の国の中でたくさんあったんです。第二次世界大戦中に日本がフィリピンを占領した時代にもこういったラブ・ストーリーは残されているんですね。それで1年以上前に斉藤晴彦さんとゲンさん(山元)と桐谷さん、村松さん、このメンバーでフィリピンに訪れた時に、私達PETAと一緒に取材をいたしました。私達はコレヒドール島に取材に行きました。コレヒドールというのは一番の激戦地でして、マニラ湾の中にポコンとある要塞のような島なんです。それから、残念なことにこの八月に亡くなったんですが、ロサ・ヘンソンさんという元従軍慰安婦のお婆ちゃんにもお話をたくさん伺いました。そういうところで歴史の中からも様々なアイディアを私達は取材してまいりました。
第二次世界大戦の終わった後、50年代に日本の女性と、日本で開かれたアジア大会というのに参りましたフィリピン代表のボクサーが恋愛した、そういうお話が残っております。それから日本でも漫画になった『ラブリー・アイリーン』という漫画があります、それは日本に出稼ぎに来たじゃぱゆきさんのフィリピン人女性が農村の青年に恋をするという話ですけれども、そういったたくさんの材料をお互いの国で取材し合って集めまして去年の12月にマニラで10日間ほどワークショップで即興劇を使ったスタイルで様々にトライしていました。そして、どんなお話を中心に私達の『ロミオとジュリエット』を翻案していくか、ということを決めました。たくさんの材料がありすぎて最初はジグソーパズルを組み合わせるようにしていったんですけれども、12月にプレビュー公演を終えた時に、私達はこういった話にしようという方針を立てました。
一番私達にとって問題だったのは、ゲンさんが言いましたように言葉の問題です。私はフィリピン語で戯曲を書き、ゲンさんは日本語で戯曲を書き、共通の言葉は英語しかなかったので、それを英訳し合って、さらに、この舞台の上でどんな言葉を使っていくのか。あるいはどういうことにチャレンジしてその私達の目の前にある3つの言葉のリンクを持っていくのかということが一番の問題点でした。ただ、今日見ておわかりになったように、私達やっている人間にとって、もはや言葉の壁というものはあまりなくなったように感じます。