というポルトガル語の題名になっている作品をやりますが、それにおいて、危険性、というよりも文化交流という意識は多分あんまり持たないでやっていると思います。すなわち「あなたブラジル、私日本」みたいな(笑)、そういう単純な分け方では決してなくて。それはあくまでも育ったり生まれたり(した場所や)、使っている言葉の違いで、あるいは身体の経験の違いもいくつかあるかもしれませんけれども、それより以前に一人一人が個人であるということ。まずそういう個人性を引き止めて、それを文化よりもより以上大切なものとして、そしてメンバー同士が出来上がっていくというのが何よりもいいんじゃないかというふうに思っています。「インターナショナルなコラボレーションをする場合に、その相手方の地域社会とかあるいほ共同社会が背景にある」、というのは、特にボニーさんの場合、中央ヨーロッパ、それからバルト海地域とのコラボレーションも非常に多いので、そういう意味もあるのかもしれません。
アーティスト同士、本当に「一緒にやろう」という相手に出会えるか
ボニー●コミットの重要性というのは、田中泯さんが今回、皆さんに「白州という日本の農村に来てほしい、それは田中泯の腐りの根源にあるものだからです」と言ったことと、もしかして同じかもしれません。ただ自分が体現している、「日本」とか「この踊り」というのではなく、その背後にある環境とか地域、そこの人々、そこの生活様式など、自分を通り越してまずそういうものを経験してもらってから共有の仕事を始めるということです。東欧とか中央ヨーロッパとかバルト海というのは、社会的に今大変な動乱期にありますから、例えばアメリカ側の人がそこへ行って―緒に仕事をするというときに、まず、観客となるべきそこの人々がどういう気持ちでどういう生活の仕方をしていて、どういう思いなのかということをまず知る。そこから、新たに一緒にアーティスティックな作品を作っていくと。前提を経験しないとだめなんだと。ただ単にスタイルとか、ただ単に技術とかそういったものを持ってきて与えるとか押しつけるとか、ということからはできないんじゃないかと思っています。もちろん、田中泯の場合の、白州というところで農業もやるということが一つの条持だったというのも、それは「皆一緒に農民になりましょう」という呼びかけではなくて、農業を通じて知り得る、ダンサーとしてのいろいろな事柄、例えば、自然のサイクルの中で動くということから、初めて知る、発見する、自分の身体の有り様とか、そういうものを体験するためにということで、皆に転職をお勧めするとか農民に勧誘するという意味ではありません。
一番最初の大きなハードルというか障害物というのはそういうアーテイスト同士の、本当に「―緒にやろう」という相手に出会えるか、それからやり方として、意味のある、あるいは必ず何か意味のあるものを作り出せる関係性がお互いの中でできるかが第一で、我々プロデューサーのような存在にとっても、まずその確信がないと。具体的にはお金集めですとかビザの問題とかいろいろな面倒臭いことがありますけど、それが一番大きな問題ではなくて、やはりどうしてもやりたいと思わせるだけの予感と期待感と信頼感が持てるフォーメーションが組めたかどうかというのがまず大前提だと思います。したがって、私達は知らない人のお手伝いはできない(笑)。どなたでもプロデュースしますということはどうしてもできなくて、割と良く知っている人の仕事ばっかりやっています。