木幡●アメリカのジェイコブズ・ピロウの要請を受けて、田中泯がまず考えたことは、やっぱりアメリカのダンサーでやるのだから、初めての自分の試みだけれども、何かアメリカの作家で彼がインスピレーションを受けたものをやってみたいということでした。それで、ソンタグさんという長年の尊敬する友人に相談して、彼女もいろいろと考えて、やっぱりそれはエドガー・アラン・ポーではないかと。彼女の考えの中に、舞踏的なもの、あるいは田中泯がやっている内面の素材を舞踏にする踊りにする、ということにアラン・ポーが非常に親和性のあるものを持っているんじゃないかというのがあって、田中泯もそれを聞いて実は自分も頭の隅にポーかなという気持ちはあったんだと。
ポーかなと思った理由は、ポーに興味があったということと、そして上方巽の晩年に一緒に作品を作った時に、土方さん自身の中にもボーからのいわゆる引用というかイメージがあったりしたということもありました。彼女がまず、ポーの一つの特定の作品ではなく、いくつかの作品から内面の素材と中の素材になり得るもの、すなわち、ある感情の状態とかある意識の状態とか神経の状態とか、あるいは体験、どちらかというと極端な体験が多いわけですが、墜落するとか大渦巻に巻き込まれるとかそういった非常に極端な体験のいろいろな断片とか、小説で言えば、ある一節とかをどんどん抜粋し、あるときはそれを自分で翻案して、あるときはその直接の引用で、ある流れを、一つの流れを作って提供していきました。これは必ずしも全編通じてストーリーがあるわけではなくて、そういう場面場面を作っていく、ということですね。それが提供されて作品になりました。ボニーさんがさっき言った中に、文化交流とか共同制作の危険性という言葉がありましたけど、私達のいくつかの経験でも確かにそれを感じています。
例えば最近の経験では、来年(1998年)の2月に東京で行われます、ブラジルとの国際共同制作です。アントナン・アルトーの残酷演劇として書かれた第一作の『ア・コンキスタ』