西堂●男と女が繰り返し抱き合うシーンがありますね。あれは他の作品でも使っている。ああいうものが基盤となって、それを組み合わせることにて、作品が構成されている。その繋ぎ方によって、各シーンの見え方が違ってくるのか、同じなのかはわかりませんけど。ですから先程清水さんが言われたように、新しい台本を書いてそれを稽古して上演にこぎ着けるという形では1ヵ月ではとうてい無理でしょうが、こういうやり方なら可能でしょう。従来の劇のつくり方のプロセスとは全然違うということですね。これは非常に重要なことだと思うんです。「蓄積」という言い方をされましたけれども、むしろ俳優個人個人の中にいろいろな技芸を蓄積していく、そういうことに近いんじゃないかと思うんですね。それをあるシチュエーションの中に、取り出してきて組み合わせていく。例えば彼女(中嶋)が最初の方のシーンで、すり足というか、非常に遅く歩く。大田省吾さんの芝居よりも遅く歩くシーンがありますけども、あそこで体が震えてくる。非常にこれは微細なものですね。では、それは全く新しいところを開拓しているのかっていうと必ずしもそうじゃないと思うんですけれども、どうですか、ああいうシーンの作り方というのは。
中嶋みゆき●動きについては、私が解体社に関わり始めてから歩行体の稽古をしています。それがすり足というふうに見えたのかもしれませんが、まず歩行体ということが一つあるということと、震えに関しては、体の使い方なんですが、逆に震えを止まらせるような、力のかけ具合をするとか、そういう使い方をすると逆に振動が増幅されるというような身体の訓練の仕方を以前やったことがあった、というところから持ってきて、あの動きは作ってあるということですね。
客3●一番最初のシーンがとても印象に残っています。あのシーンはどういうふうにして出来てきたかというのをすごく知りたいと思うんです。あのシーンは解体社のエッセンスが凝縮されていたような気がして、ただずっと立っている人たちがゆっくりと動いていく。で、何がすごいかって言うと、イメージとして、明かりの中に立っていた3人の人達が手をすっと挙げてゆくことによってその微妙な呼吸の震えみたいなものが一気に視覚化されてしまうというところがすごく面白くて、しかもあのシーンがかなり長い時間繰り返されるわけですが、その時に強制された身体と言うのかどうかわかりませんけれど、“何かに立ち向かわなければいけない身体”みたいなものが、呼吸が視覚化されるというプロセスを通じて一気に出てしまうということがすごく面白いと思ったので、あのシーンの作られ方についてお伺いしたいのですけれども。
清水●そういうふうに観ていただけると非常に嬉しいのですが、作り方としては、先程も言ったように呼吸をここで合わせるとか、そういうところから始めるとうまくいかないんですね 最初、家族の人達が去って行く人に手を挙げますね、その映像が浮かんで、そこから始めたんですけど、それをどういうふうに見せるか。何か必要なわけですね。具体的にはクラシックバレエのバーレッスンですね、肩を下げる、耳の後ろを引き上げる、そういうディシプリンですね、そこから腕を上げるという稽古を延々とやりましたね。一人一人が、何か違うんですね。つまり、一人一人の腕の上げ方とか、ポジションなりは統一されてないわけです。みんな角度も違う。それが全体として同じ形に、あるいはそれぞれ違うんだけれども全体として同じ形に、と、そういうところまで詰めてやりたかったんですね。先程言われた、呼吸が、というのは、これはリズムで合わせているわけではないので、つまりすっとそれをしていると呼吸がわかるんてすよね。どこで彼は顔を上げるか、とか。いわば一つの共同性が出現するプロセスというか、そういうことが稽古の中で必ず見つかってくるんで、それで作ったりしてます。
西堂●あれもやっぱり1ヵ月ですか。