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劇団解体社『零(ZERO)カテゴリー』

1997年10月24日/東京芸術劇場小ホール1

スピーカー:西堂行人、清水信臣、大貫隆史、中嶋みゆき

 

あれは励ましというか優しい、慈悲深い行為なんです。

 

西堂行人●今日の舞台を観ていると、多かれ少なかれある種の強制力というものを感じるんです。例えば、最後の方のシーンで舞台の奥から手前のほうに光の帯ができますね、人が並ぶとも並ばぬともいえぬ形で列が生じてきて、そこに長い髪の女の人が鞭を鳴らし、名前を呼んで来る。すると何か強制収容所的なイメージがどうしてもそこから喚起されてしまうんです。「命令」とか「強制」とか、そこら辺がこの劇の一貫した狙いなんでしょうか。

清水信臣●狙いというか、非常に、個人、一人なんですね、それぞれ。それで、ディシプリンという意味ですけど、外部からの命令ですよね、圧倒的な、それを一回身体にあらゆるところから通過させないとなかなか立ち上がってこないんですよね。そういうこともありますけども。そのことが直接に舞台の、あるいは、いわゆるテクスト的なテーマであるとか、そういうのとはちょっと違うんですけれども。

西堂●一人一人分断された個人がいて、そこに好むと好まざるとにかかわらず人間が立たざるをえない。様々な強制力の中にさらされているわけですね。それを一人一人の俳優が体で受け止めて、そこから、弾き返すなり、内向するなり、あるいはそこで震えてみるなり、様々なリアクションの中でこの劇が展開されているということですね。最後に、名前を呼びますね、一人一人の。これは日本語で名前を呼ぶわけですが、以前の解体社のパフォーマンスで国の名前をアルファベット順に呼ぶというシーンがありましたが。

清水●民族、部族ですね。

西堂●言葉の扱い方っていうんですかね、その辺はどうですか。

清水●そうですね、一つは、民族、部族から、さらにまたそれを分割していくと人の名前になりますね。それが一つと、もう一つは、通信をしている個が否応なく名前を呼びたくなるという、そういう状況と、二つですけれどね。

西堂●そうするとさっきの話からも通じてくるんですが、個人というか個というか、国家や部族が解体されてきて、人間の一番最小単位としての個人と名前が最終的に残ってくる。そこが出発点というかモチーフになっていくんですね。最後、布に赤い線でビームが走りますね、あれなんかもそういう分割というイメージに…。

清水●ええ、分割ですね。あれはもう端的にそうですね。分割線とそれの引き直し。

西堂●それをどういうふうに解釈するかは個々人によるでしょうけれど。(観客に)どうですか。

 

 

 

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