佐伯●それで水とか、鯉とか。
加納●そうですね。いろんなことをやっちゃえばいいじゃないですか。何も物を出さなくてもいいんだって。船で道行きしてるのに波出す必要はない、みんなが波の動きすればいいんだっていう様なことですね。
佐伯●皆さんもそうかも知れませんけど、観てると仕事が伝染(うつ)るんですよ。面白い仕事が。ちょっとやってみたくなるんですよね、一人になった時に。ありますよね。花組をどりの時もそうだったけど、お神楽なんかを子供の時見てて、なんかおかしいっていうか、滑稽な、でもいわゆる喜劇役者がやる喜劇じゃなくて、普通の人がおかしいことをやるとおかしいんですよね。それが何か見てておかしいっていう感じでやっぱり少し伝染(うつ)っちゃったりする。
加納●そうですね。それと同じ様なことで、僕らが動きを考えるときに古典芸能からもらうものっていうのは必ずそういったものです。おかしいと感じたものをもらう、面白いねっていうのをもらうんですね。
佐伯●現代の生活の中でああいう動きはありませんよね。
加納●ありませんね。
佐伯●ああいう動きしたらやっぱり変でしょうね。でも随分不自由な体の使い方してますよね。ほとんど使ってないっていうか。で、時々、転んだりとか、不意を打たれておかしな仕草するとかあって初めてその裂け目が見えてくる。
加納●そうですね。転ぶところとかでも、いやこんな格好してないぞって。それは観察っていうかな、本当に転ぶ時はこうやって転ぶんだなあって。でも四六時中観察やってたら疲れちゃいますよ。それも結局さつきおっしゃっていただいた朝稽古場へ来るまでの間に見て、これいいな、面白いなって思うことをすごく大事にして、そう思ったことで、その場で覚えようとは思ってなくても、それが何かのきっかけで、人間の頭ってその点で良くできてるなって思うんですが、覚えたつもりないんだけどなんかスイッチを押すとぱっと引出しが開いて演じちゃう。単純なことに感動、感動っていうのは大袈裟ですけど、感じてっていう、お稽古なんか見ていただくとわかるんですが、何だかがちゃがちゃやってるんですよ、それでも真面目ですよ、脈絡なく「この演技はこうだなぁ…、お前昨日女房と寝た?」そういうことを言うんですよ、僕はわりかしわざと。それはなんでかっていうと、何も私生活を知りたい訳じゃなくて、そうやって女房の話すると顔がフッと変わるんですよね。そうやって刺激してるんですよ。そうするといい顔するんですよ。そういう意味でのコミュニケーションは劇団だからできるんであって、プロデュース公演で初めての方に「奥さんと週何回ですか」なんていきなり聞けないですからね。それは劇団だからね、ざっくばらんに。
佐伯●加納さんは、役者は稽古場に来たらもうすでに私生活の顔と違ってなきゃいけないとおっしゃいますよね。
加納●それはありますね。仕事場に来てるんだと。ただ、がちがちになって稽古するぞなんて、そんなんでなくていいんです、それはちょっと古い世代の人達でね。それはいいんです。ゴロゴロしてていい、ぺちゃくちゃしててもいいんだけど、ギアがちょっと変わってる状態に。