うちの劇団は最近流行ってるワークショップというのは実は出来ないんですよ。
佐伯●加納さんは演劇の話をする時に非常にロジカルなんだけども、お芝居についてはどうやって作ってるのかな。わかりませんね。
加納●よく最近は稽古場で言うんです。神が降りてくるんだって(笑)。思ってもいない発想が、考えてなくても、その場で見えたものとか、聞こえてきたものによってポッて出てくるんですね。逆に言うと、それが出る様な状態にしようしようっていう意識が働きます。役者にもそれを言います。「考えて考えてやるんじゃなくて、考えて考えてポーンと何か出るために、ポーンと出てしまうような状態にするにはどうするかっていうのを考えてくれ。何を出すかじゃなくて、何かが出てしまうような状態にするにはどうすればいいのかっていうのを考えて」って言うんですよ。これは、大学でうるさく言う先生がいたもんですから、役者というのは実はやりっぱなしなんだと。そうでないと面白くないんだって。考えて考えてポンとはじけてやりっぱなしにしないとダメなんだって。それをたまたま新劇系の方がおっしゃるし、江戸時代の歌舞伎の芸談でもあるんですよ。こうしてこうして考えて考えて、本番で何もかも忘れてやれと。だから考えているうちはダメだ。それと一緒なんですよ。
佐伯●それでちょっと思い当たりますけど、キャスリン・パトルっていうオペラ歌手のトレーニング風景のフィルムがあるんですけど、やっぱり老婦人がずっと声をトレーニングするんですよね、一緒に。オペラ歌手の声っていうのは時間をかけて楽器みたいに調整してくんですね。で、その老婦人が最後に何て言うかっていうと、まだ天使が降りて来てないって言うんですけど、何かいろんなもの読んでくと、みんなそれはありそうですね。
加納●そんな感じがしますね。だから昔のいわゆる芸能者っていうのは、日本においては差別されてましたけど、逆に神に近い人間だって崇められたんです。別なものだって。巫女もそうですけれども、芸能者は本当に別なものであって、神とつながってる人で、社会構造の中では差別されてますけど、精神的には非常に敬われてた。
佐伯●上と下と逆転しちゃうみたいなことですか。
加納●ええ、あるんですね、そういうことが。
佐伯●今日もそうですが、この間やられた花組をどり(『花組をどり'97』)が見事にいきてましたね。
加納●そうですか。花組をどりでやった経験で肉体的にいろんな事が出来るんだっていうのがありますね。今回クレオパトラは何せ大物をやるって決めちゃったんで、どうしようかって思って、いろんな手段の中の一つとしてすごく有効に花組をどりでの経験が使えたっていうことがあるんですが、花組をどりと同じ様にテンペスト(『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』)っていうのがあって、最大のご批判をいただきまして、素人さんにも玄人さんにも総スカンだったんですが(笑)。
佐伯●ちょっと難しかったんですかね。
加納●もちろんお客さんのためにやるんですが、僕らにとつては経験としてやんなきゃいけないっていうので、あれをやったおかげでものすごく楽になったんですよね。歌舞伎の様式のまねをするという行為に関してすごく楽になった。このクレオパトラにもどんどん入れちゃえ、どんどん入れてどんだけ壊そうかって。そういう作業が自然なことっていう風になったっていうのはテンペストをやったおかげでした。それで花組をどりもそうですし、先程言った、素ネオかぶきの『ザ・隅田川』も人間の体でもってなんでもかんでも人間以外のものをやっちゃえばいいんだって…