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ちました。3年たった時に、また、あの役をやってみないかと言い出したのです。ちょうど休暇に行く時に「『しあわせな日々』の本を持っていって、読んでくれ」と言われました。私の方は休暇ですから本なんか持って行きたくなかったのですが、それでもと言うものですから、本は持って行ってピーター・ブルックは忘れていることを望んでいました。ところが、休暇の最後の日になって、「『しあわせな日々』を声を出してちょっと読んでくれ」と言ってきましたので、私は読みました。最後まで読み終わった時に、私は「ほらわかったでしょう、私にとってこのフランス語はあまりにも難しすぎるから駄目だってわかったでしょう」と言いました。
ピーター・ブルックは「でも君はこれを読んで感動した?」と聞き、私は、「もちろん感動した」と答えました。すると彼は「それだったら出来る筈だ、出来る」と言ったんです。ピーター・ブルックは「必ず出来る」と私に確信させました。パリから遠い所でやればいいとゴンザレスさんに話をもっていきました。そして、ローザンヌで秘かに、パリから遠い所でひっそりと上演する事が決まりました。そこで私は何週間にも渡って準備をし、このフランス語のセリフを一生懸命憶えました。でも3週間くらい経った時にもう気が狂うかと思いました。
このセリフが長いことも勿論ですが、ベケットのこの脚本の中にはト書きがとても細かく書かれていて、各セリフのー言一言の間に、演技に対する指示が書き込まれているんです。「また素晴らしい一日が」というあの最初のセリフを大きな紙に書いて、毎朝それを眺めて憶えようとしていたのですが、頭に入っていかない日が続きました。この役をやりたくなかったのです。ゴンザレスさんに私にはとても出来ないと話をすると「やりたくないんだったら、まあ仕方がない」と言ってくれました。私が「1年くらい後だったら出来るかもしれない」と言うと、ゴンザレスさんは「1年経ったとしても、難しさには変わりはない。同じだよ」と言ったんです。そこで、「じゃあやろう」と決心しました。ですから、この作品を演じることは、私が選んだことではありません。ジャン・クロードにもう1回ごめんなさいと謝りたいと思います。まさにこの作品と同じように、ウィニーがいつもいつも喋り続けて、哀れなウィリーの方は毎日毎日同じ話を聞かなきゃならないんです。

ペラン●まだ『しあわせな日々』の作品の続きをやっているみたいだ(笑)。ナターシャが私に話をしてくれたことがあります。彼女はものすごくお喋りな男の人と長い間一緒に暮らしてきた。そのお喋りな人の名はもちろんピーター・ブルックというのですが、黙ってその人の話すのをずっと聞き続けている時間が長かった。そのお喋りな男性が彼女にこの役を与えて、彼女に話させようとしたということを、今の彼女の話に続いて皆さんに申し上げることはとても重要だと思います。
このベケットの作品が力を持っているのは、この主人公の言葉が、誰か普通の人の言葉ではなく、女性の言葉である、ということが重要だと思うのです。この作品が感動を与えること、そして、ベケットの偉大な作品であると今日見なされているのは、この作品が、西洋における女性の置かれている状況、おそらく日本も同じではないかと思うのですが、女性が置かれている状況を映し出している部分があるからだと思うのです。ベケットは今から40年近く前に、人間が社会の変化の中で感じとられるものを見事にこの作品の中に出していると思います。すなわちこの作品において、言葉は命の息吹であって、一人のだんだんと消えつつある命を消費している人間が、その言葉の鋭さや知性やユーモアによって生き延びることが出来ているのです。この作品において主役が女性であるということは、とても重要な点だと思います。今日の社会で同じようなことを男性が語る作品では考えられません。

 

 

 

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