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で、で、ここにいるというわけなんです。

池田●人が亡くなるとどうしても生と死ということが、別に作品を作る作らないにかかわらず、生活の中に及んでくると思うんですが、その時に自分が音楽作ったりそういうことに影響してはいけないんじゃないかという自己規制みたいなものもあったりしたんですけど、逆にそれが嘘というか、出ちゃうのが当たり前で、そうしたら楽になった。出すなら出そうと。出そうって言った時にセンチメンタルな方向に行くのは安易だし、泣き泣きの世界に逃げるのは楽なんだけと、そうではなくて、死というものを本当に直視するというか、限界まで自分なりに分析してみようという形を僕はとったつもりなんです。それが本当に感情を排して、死ぬってどういうことだろうとか、個人的にはすごい考えたつもりなんですけど。だからすごい際どいエッジというか境界線みたいなところがやっぱり際となってて、『OR』ってA or Bっていうかたちも取れるんですけど、生と死ってA or Bじゃないんですよね。二つじゃなくて片方がない、生しかないんですよね、きっと。僕らの考えているこの世界は。死ってやっぱり誰もわからないですよね。それをテーマとするっていうことは想像するとか悲しむとかって、よく悲しんだりとか儀式をしたりとかして死を誤魔化しているっていうのが見えてきちゃうんですよね。涙は出ますけど、そういうのをおいといて、突き詰めていくとどういうふうになるんだろうとか、その辺がいろいろ混乱しながら今も続いているという形です。

熊倉●死は客観的なテーマとしてはアートの中で一番数多く使われてきたと思うんですけれど、それを客観的に偶像化して見せるわけでもなく、でもじゃあ主観的にその中に溺れてみるのでもなく、その辺を特に今池田さんがおっしゃった誰かの決定的な不在を自分の作品と関係ないものとして考えるかどうか、っていうのもダムタイプのあり方の非常に重要なファクターだと思うんです。主観的なもの客観的なもの、とらえ方も非常に際どくどちらにも瞬間瞬間で転がる作品だったなあって思うんですけれども、他に皆さんどうですか、悌二さんについて。

山中●あまり僕はないんですけど、古橋とずっと音楽を作って、今回初めて池田君と音楽に関してなんてすけと作り出した経験というのもまた全然それまでダムタイプを通してはなかった経験だったんで。古橋と僕は必ず音楽を作らなくちゃというコンビでずっとやってたのが、無理やり解消されたわけなんで、解消された後に、それまで本当に僕がダムタイプで音楽を作る時は古橋と共同作業するんだという考えしかなくて、それがなくなった時にじゃあ

 

 

 

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