ないものもある。何かすごい渾然としているというか。
熊倉●シーンのないところに無理やりシーンを作ったって、怖いことを聞きましたけども、そもそもの発端のコンセプトみたいなものがあって、皆がそれに何か言及するようなマテリアルを考えてきたというわけでもないんですか。今回、もともとコンセプトというようなものはあったんでしょうか。
高谷●コンセプトという形で決めているわけじゃなくて、皆でしゃべってきた内容は一応文章化して残ってるんですけども。それはものすごく大きく言うと、死についてだとか、時間についてだとか、すごい抽象的なところ、そんな話は山ほどしていて、この辺が気になるねって。そういう意味では、自分達で現在を分析しているっていう段階はもちろん長く持っているんですよ。それでそこから先、実際に舞台上でパフォーマンスを構成する段になると、そういうものってどこかに残っているから出てくるだろうと。もちろん全部からめて、例えば紐でつながって服交換するところとか、ああいうのだってつなげようと思えばいくらでもつなげれるんですけども、そうやって固定化しちゃうよりも、ポンって投げ出しちゃった方がいいかなっていうぐらいには思っていますけど。何か固定したくないっていうか。だからコンセプトっていうよりもしゃべってきたものが下地になっているっていうぐらい。コンセプトなのかな、それって。
熊倉●基本的なあり方はこれまでのダムタイプと変わらないと思うんですけれども、ミーティングとよくおっしゃってますけれど、ディスカッションの中から一つの大きな方向性を見つけ出して、そこに皆さんが様々なエレメントを持ち寄って、一つの時空間を造形していくっていうやり方ですよね。
高谷●そうですね。何かコンセプトって言うとすごくかちっとしててはずれられないみたいなイメージがあるけども、結構しゃべってて、「すごく明るくて楽しいもの作りたい」とか、「そんなものもある」ぐらいのコンセプトって思ってもらったら。ある程度の下地を統一して、だから出てくるものはとんでもないものはないっていう気もしますね。自分達にとってということですけども。
川口●1個コンセプトとして決まったものがあるとすれば、舞台装置が決まってそれだけは動かしていない、舞台装置とそれからテーブル、それがとりあえずフィックスされたものとしてあって、そこからそれにはまっていくものは出てくるからそれも一つの決まっているコンセプト。それをどういうふうに解釈するのかっていうのはまた一転ニ転三転すると思うんですけど。
高谷●結構その辺になってくると社会的な理由で先に決まっちゃう。決めないと後からつけれない。
川口●社会的というか、制度的。
高谷●制度的なんかな。決めてくれって言われて。毎回、今度は六角形でいこうとか決めれたらねえ、やってしまってるかもわからないけど。
熊倉●先程から時々ちらちらとトークの間にも(古橋)悌三さんのお名前が出て来ていますけれども、お答えになりたくなかったらいいんですけれども、やっぱりこれまでのダムタイプを知っている人達にとっては今回すごくドキドキして迎えた舞台だったんじゃないかと思うんです。まさに今ちらっとおっしゃったように、あるようなないような緩やかなコンセプトだけれどもやっぱり死と時間ということについて考えていると。その悌三さんの死とその後にやはり皆さんはものを作り続けよう、一緒にやっぱり残って作り続けようって考えられたわけですよね、少なくともこれまでは。その辺のところについてお一人ずつどんな思いがあったのか、聞かせていただけますか。