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カンパニー・マギー・マラン『MAY B』

1997年10月4日/世田谷パブリックシアター

スピーカー:宇野邦一、カンパニー・マギー・マラン・ダンサーズ

 

孤独を一番感じるのは、一人でいる時ではなくて他人にたくさん囲まれている時

 

宇野邦一●ピーター・ブルックの素晴らしい演出の『しあわせな日々』を僕は昨日見たばっかりですけれど、たまたまこの『MAY B』と、おそらくたまたまではないんでしょうね、ベケットをやってみたいという気運が日本の演劇人の間でも少し高まっているようですので、最初にごく簡単にベケットについての問題提起をしてみたいと思います。ベケットの代表作と言いますと誰でもが『ゴドーを待ちながら』を挙げます。そしてベケット自身が『ゴドーを待ちながら』で有名になりました。それ以前は非常にエキセントリックで異様な長編小説の書き手、決して広く注目されていた人ではありません。
それで、このゴドーはよく、一体何を待っているのかということが問題になります。ゴドーは決してやって来ないわけですね。ゴドーというのはGODという言葉に発音が似ていますから、当然やはり神を待っているのだろうか。で、神は全然来ないわけですから、神がいないという現代の状況について、そういう現代人の魂の状況について、これは描いたものなのか、そういういろいろな解釈が出てきたわけですけれども、そういう解釈をする時期は今ようやく終わりになりつつある。じゃあ、どういうふうにベケットの芝居を繰り返したらいいだろうか。もちろん、正解は一つあるわけじゃないし、ベケット自身がそういう答えを与えたということも聞いたことがありません。しかし、この「待つ」ということがベケットにとってものすごく大きなテーマだ、ということをまず主張しておきたいと思います。
ベケットの作品の主人公達はほとんど何かを待っている。しかし何もやってこないし助けがないわけですね。ほとんど孤立した状況である。『しあわせな日々』という作品はウィニーというほとんど動かない女性とウィリーというほとんど動かない男性が、ほとんど没交渉で終わってしまう、不思議な作品ですけれども、やはり待つばかりで何も行われない。で、この「待つ」ということに関しては、ダンテの『神曲』というクラシックがあります。この『神曲』の中で、ダンテが煉獄に差しかかる、冥界にあたるところで、そこで死者は審判を受けるわけですが、楽器職人だったベラックワという男が、ここでただ待っているんですね。どういう姿勢で待っているかというとひざの間に頭を突っ込んでじーっと待っているわけですね。これはブレイクのダンテを扱った絵の中に確かそういうイメージが出てくるはずです。ベラックワは煉獄の前の所でずーっと待っている。待っていなければいけない。彼は一生ずっと怠け者で、天国へ行くために悔い改めるということを決してしなかったわ

 

 

 

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