ベケットの「しあわせな日々」をやるのはここだ、ここでベケットの息づかいを聞きたい
ゴンザレス●その話はとても簡単です。それは友情の物語です。もう一人のある詩人が、「愛が世界を生み出したが、友情は世界をもう一度つくり変える」と言っています。私は友情や人間関係をとても大切にしています。数年前、仕事をしているうちに何人かのアーティスト、芸術家と出逢いました。アーティストというよりもむしろ、アーチザン職人と言いたいような人達です。そして時が流れると共に友情の関係が育っていきました。私はパリを離れることになりましたが、友達とはコンタクトを保っていました。その中にピーター・ブルックがいました。また、このベケットのテキストですけれども、ナターシャ・パリーはかなり前から、告白はしなかったけれど、自分の中で温めてやってみたいと考えていたようです。そして先程私達の劇場ヴィディの話をいたしましたが、このベケットの作品が生まれるのに、この劇場は実に相応しい、適切な場所だと私は考えました。
ここでちょっとしたエピソードをご紹介いたします。私達の劇場には大ホールがあります。大ホールといっても400席の大ホールです。それから、小さい方のホールは100席です。ピーター・ブルックが、私達の劇場に来て、まず大ホールに行きました。しばらくそこに佇み、黙っていました。それから小ホールの方に行きました。彼は小ホールの客席に腰掛けて少ししてから、私は真似は出来ませんが、彼の英語のアクセントが混じった言い方で「ベケットの『しあわせな日々』をやるのはここだ、ここでベケットの息づかいを聞きたい」と言ったのです。一つの作品が生まれてくる場所というのはとても重要ですが、不思議なものです。明確な理由が分からないことが多いと思うんです。
作品が生まれる際に、その場所は本当に大切なものだと思います。場所といっても、その劇場の空間と同時に、そこで働く人々も含めての場所ということです。その作品がある場所で生まれるためには、特別な錬金術が働いて、錬金術がうまくいく理由は誰にも分からないのではないかと思います。しかし、後になってみれば全てが偶然であるかのように、でも一つのものに向かって何もかもが協力して働いていたということが分かります。いつか私がベケットのこの作品を制作することになるとは、しかもそれをローザンヌでやることになるとは、私は想像もしていませんでしたし、第一、ローザンヌの劇場に行って自分がディレクターになるということすら想像していませんでした。したがって、明らかな理由は見つけられません。「明らかにそうだったということの方が、探している証拠よりも多い」と書いた人がいます。私が、まさに今お話ししていることは、当然そうしてそうなった明らかなことだったんだと思います。そのような明白さがそこにある、その際には仕事はとても簡単に出来ます。
佐藤●格調高い話にテレビの司会者のような質問になってしまうのですが、この作品がローザンヌでどのようにして出来上がってきたかということにすごく興味があるのですけれども、稽古期間ほどの位だったのでしょうか。
ゴンザレス●私の記憶が正しければ、稽古の期間は約2ヶ月だったと思います。ただし、その実際の稽古の前にナターシャは何ヵ月にも渡って、1年近く、準備をしていました。つまり、ベケットのこの戯曲を彼女自身、何ヶ月も生きていたのです。それは単に台詞を憶えるといったことではありません。この作品が初演されてからもう3