能力の可能性を広いものにしていきます。これが後半の部分の答えです。それから一番目の質問に対する答えですが、新しい方法を見つけると言いましたが、それは簡単なことではなくて、簡単にこういう方法だと言ってしまえるような方法ではありません。具体的にこういう方法があるというわけではないんです。それぞれに適応していかなければなりません。
ダンサー5●今回の作品では、自分達が読んでいるテキストとそれから表現しているものとの間に距離があるから、芝居のようにその言葉を演技として出すということとは全く違っているということが挙げられます。ただしこの中で本当に演劇的にある種の状況、例えば喧嘩のシーンであるとか、演じなければならない部分ももちろんありました。それからもう一つ、愛のシーンのデュエットがありますが、あのデュオのところでは、感情を演じていますけれど、実はあそこでしゃべっている言葉はでたらめで、普通であれば、言葉で演技をするものを、全く違った形で愛を演じているんです。言葉はでたらめですから言葉による演技ではありません。とはいっても一つのメソッドがあるわけではなくて、最初に新しい方法と言ったもの、その方法は開かれたものだと思います。
ダンサー6●私は今のことで付け加えたいことがあります。個人的に今回の作品でとても私の関心を引いたことは、まさにその音楽的な要素、芝居のような要素をやらなければいけないということでした。このカンパニーの中ではずいぶん小さい時からダンスを始めてしまって、他のことをやっていない人が多いのです。ですから私にしても音楽や演劇の練習をする時に、全く無垢な、初めてだという気持ちをもってそれに取り組むことができました。そしていろいろな発見をしました。そのおかげで自分のダンスを中心に置き直す、見直すことができました。このことが本当に面白かったのです。これ、全てマギー・マランのやっている仕事に関わってのことです。
ダンサー2●ダンスと音楽に関してだけ、ちょっとどういうふうにやったか、方法を紹介しましょう。今テノリーリョ(ダンサー6)が言ったように、私達は本当に初めて音楽に出会った、初めて楽器に触る子供のように、楽器の練習をしました。ゆっくりと楽器を演奏することを学んで、それを徐々に動きと合わせていきました。毎日毎日その練習を続けていきます。ダンスの時に、数を数えてリズムを取って踊りますが、それと同じように音楽の方も数を数えながら合わせていって、そして練習を重ねるにつれて、機械的に自然にそれが出てくるようになります。
ダンサー7●私も付け加えたいことがあります。こういった作品の中で重要なのは私達の持っている身体、体の持っている記憶力と、それから音楽の方の記憶です。どちらか一方が優れていればいいのです。片方が優れていればもう一つの方、例えば体の記憶が優れていれば、音楽の方もそれに合わせて連れてくることができます。両方の記憶力がないと、それは大変ですが、片方が自動的な記憶力になるだけの力があれば、その後に自分が今何をしているのかを分析して、二つ目を合わせてくることができるんです。どっちの方がいいとは言いませんが、どちらか一つ、どちらでもいいんですけれど、体の、肉体の記憶力と、それから音楽の記憶力と、どちらか一方があれば、二つ目は自然についてこさせることができます。
客6●初めて皆さんのダンスを拝見させていただいたんでが、見進んでいるうちに、自分の心の奥深い部分の何かが触れるような感じになってきて、ダンスが終わるころには、ダンサーの皆さん達へのすごく親しい感情が自分の中に起こってきて愛おしいような気持ちになりました。嘘のない真実な表現というか、演技だと思うんですけれども、