ったかなとは思います。2回目はマレーシアですね。これは向こうの方が5人、こっちの方が5人、これはちょっと悪戦苦闘というか、いろいろありましたけど、今回は再演ということで手直ししながら僕はわりとやりやすかったかなっていう気がします。
竹屋●じゃあ、近藤さんに、ダンスに初めて参加していただいた感想を含めて。
近藤等則●踊ってはいないですけどね。何て言うんですか、肉体と音楽っていうのは、昔から芸能ってそんなに分かれていなかったですよね。近代になってから、音楽は音楽だけ鑑賞したり、踊りは踊りだけとかになったんだけれど、もともと人間はやっぱり楽しむ時には踊るだろうし、音は出すだろうし、歌うだろうし、全部一緒だと思う。そういうことができるのは楽しいなと思う。今回も新しいことをしているというよリも非常にプリミティブな気分というのかな、で、できたらいいなと思って、特にインドネシアのミュージシャン達と今回やらせてもらってるんで。
例えば、インドネシアのガムランのスケールっていうのはドレミファソラシドの中でレとラか抜けてるドミファソシドっていう音階なのね でもミファソシドミって彼らはマイナーでよくやるんだけど ドミファソシドってのは、沖縄民謡のスケールと全く一緒なのね。世界中見てもあまりない。だからスケールを聞いただけでも沖縄、インドネシア、このルートは何千年も前から交流があったんだろうなあっていう感じがするし、音楽のことを少し話せば、やっぱり彼らの音階っていうのはシの音が平均率より抵いし、ファの音はちょっと高いし、みたいな感じで、そういうところが、こう西洋音楽にはないエロスというのかね、彼らの場合は倍音が複雑にうねっているから、エロチックというか、いいなと思うんてすけれど。
僕なんかトランペットっていう西洋の非常に整理されてしまった楽器を吹いてるもんで、何て言うの、 ドレミファソラシドってきちんと吹くようにできてる楽器だからね、いつも自分の頭の中に変えたいなあっていう気分があって、今竹屋さんがおっしゃってるようにそのアジアと西洋との違いみたいなものを僕も延々、向こうでやっているんですけれども、やっぱり僕達は僕達の我を通した方がいいなと。そう思うんですけどね。毎回、昨日も今日も楽しませてやらせてもらっています。
竹屋●ありがとうございました 今、演奏してくださったインドネシアのワヤン・サドラさんと、タイの舞踊家のナラポンさんをお呼びしたいと思います。
イ・ワヤン・サドラ●ごめんなさい、英語はあまりうまくありません。ごめんなさい、日本語もあまりしゃべれません。日本人が日本語をしゃべっているのを聞く時にはまるで音楽のように聞こえます。90年に、ジャカルタの演出家からこのプロジェクトについての情報が僕に伝わったのが最初のきっかけだったと思います。
竹屋●ニューヨークで インドネシアの現代音楽の作曲