青野委員 明るさという点なんですけど、僕は2つの明るさに会ったんです。一つは、自分の代でおしまいの明るさですね。ですから、娘は出ていって息子も出ていったが、自分はここにいたい。自分はここで終わりたい。だから、いろいろな社会教育なり社会福祉なりをちゃんと自治体のほうで面倒を見てもらいたい。それが、ある程度行われ出している。それから公共投資で道路なんかはついているということで、ひとまず安全な生活が毎日送れている。しかし、これは自分の代でおしまいと。これは、都会の中小企業を回っていてもわりと似ているんです。町工場へ行ってみると、おやじさんが一生懸命やっていておれの代で終わるといってるんです。息子は全部サラリーマンになっている。別に暗い気持ちでやっていても話にならないから仕事は一生懸命にやって、我々が訪ねて行くと明るい印象を受ける。これは普通の話ですよね。ひどいことになっちゃってという暗い話になっていないわけです。借金抱えて夜逃げしようという話じゃなくて、やっぱり自分はこれだけやってきた、しかし、もうこれは息子に継がせない。そういうことなんです。中小企業を訪ねると、そういうのはよくありますけど、わりと雰囲気は似ているんですよね。自分の代限りの明るさ。
それからもう一つの明るさにも出会いました。その集落では、若い人が戻ってきてるんです。バイパス道路ができたことが大きく効いている。道路ができたので精神的にも都市にすぐ近い感じになる。熊本へも行けるし延岡も近くなった。だから、何も移ることない。そこに居て兼業をし、農業もやり生活していける。サークル活動などでお嫁さんは探せる。そういう集落だったものですからとても明るいんです。そういう集落は20代・30代の青年の明るさがあるわけです。さっき言いましたように、その青年たちが60歳になってどうなるかわかりませんけど。その人たちの子供はまだ小学生くらいなんですが、将来戻ってくるように今からいろいろな教育をしているわけなんですよ。
ですから、こういうほんとうにうまくいきそうだなという明るさと、もうひとつの明るさ、今、おっしゃったしたたかなといいますか、いろいろなものを経てきて、自分だけはここで生活したい、道路や福祉も整ってきているので安心してここで生活していたい、という明るさがあるんです。我々が都会にいて想像すると、みな下を向いて、暗い気持で生活しているように思いますけど、そうじゃないところが一つの救いなんです。ですから、この2つをとっても、政策的には別のことをやらないといけないと思いました。
もう一つ感じたことがあります。統計では山間部として一括していますけど、どん詰まりの山間部と他所へ抜けている道路に沿った山間部とは全然違うわけですよね。そこのところを考えて違う施策をやらないといけない。山間部ということで一括して統計をとるのは単純過ぎますね。抜けている道路の途中にある集落のばあいには結構いろいろなチャンスがあるんですよね。それから精神的にも安定する。たまたま大きな道路が通じて、山間