なくとも当初の段階よりはよくなってきているというものもあるんでしょうね。
小田切委員 私も、それは感じましたね。いい意味でのしたたかさというか、芯の強さというのは感じました。
でも、逆にそれがゆえに、これからは高齢化のため、くしの歯が抜けるような形で人が減っていくので、現象が急激に出てこないということがあるんだろうとおもうんです。だから、そこを早めにキャッチして政策を打っていくかというところが、今、求められている話なのかなという気はします。
大田委員 風雪に耐えたということでは、こういう話があるんです。ある部落で、やっぱり住民の方と懇談したときに、嫁のいない話になりまして、どうしたらいいのかというような話をしていたときに、あるご婦人の方々が、この集落の中には、お母さん方で自分の娘はこの集落から出ていってもらいたいと考えている人が少なくないと言うんです。要するに、もう自分がほんとうに風雪に耐えて苦労してやってきたわけで、娘はここから出て幸せになってもらいたいという意味だと思うんです。私もその語を聞いたときは切なくなりました。
柴田委員長 若干、余談めくんですけど、昭和40年の国勢調査をやったときに過疎の進行にびっくりしたのです。あのときは、たしか26府県が人口減になったんです。そして過疎市町村はひどい、それぞれ何かやらなきゃならんと。過疎対策緊急措置法―特別措置法という名前じゃ許してくれなかったんですが―緊急措置法というので昭和45年にやっと制定された。そのころは、人口を昔ぐらいに戻すくらいの気持ちがあったんだろうと思うんです。最近は、過疎の始まる前の人口に戻すのは政策目標として意味がないとか、そんなこと言う必要はないと、むしろ交流人口だとか言っておりますね。今また、新しい全国総合開発計画では、多自然居住地域だとか、フロンティアだとか、日本をガーデン・アイランドにするとかと、何かちょっとくすぐったくなるようなことが書かれていますが、私どもが考えている以上に過疎地の人々はしたたかに、それなりに風雪に耐えたとは思います。ただ風雪に耐えたけれども、これを我々の子孫にももう1回やらせるんだというような、そういう西部魂みたいなものはどうもないとなるとちょっと問題ですね。
国土資源管理という点では、やっぱり人がいればそれなりに、けもの道よりは人が歩いた道のほうが道は通りますし、それなりにいいんですが、人がなくなるとどうしても傷む。
しかし、そのために人を住まわせるというわけにいかないし、デカップリングというのは、日本人の国民性からすると非常に難しい話じゃないかという気がいたします。そして、ヨーロッパの人のように、おおらかな、人生に幾つもの選択肢があるというところまで成長していないかもしれないですね。最後に一言ずつでも全体を通じてのご感想があったらおっしゃっていただいて、それで締めくくりにしたいと思います。