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柴田委員長 ありがとうございました。結局、我々が考えるよりも、実際に現実に暮らている人のほうが、万事、したたかだししぶといんですよね。

現地調査の結果は、諸先生にそれぞれご執筆をいただくわけで、またそこで詳しくいろいろとお書きいただくんですけれども、何かこの際、それと重複しても構いませんから、現地調査をされてどういう印象というか、特にこんなことをこれからの集落政策というか、そういうもので考えるべきじゃないかというようなご示唆でもあったらおっしゃっていただけたらと思いますが、これは青野先生からお願いしましょうか。

 

就労の場は通勤先になってしまった

青野委員 僕が行った集落で、結局、さっき小田切先生がおっしゃったように、住んでいる人が経済的に何に依存しているかというと、もはや農業、林業を中心としていないわけです。それ以外の収入を得て生活はそこでしているという、その傾向が非常に強かったですね。特に、さっき言いました9戸で35人で山間部にあるというのは、老齢化は進んでいるんですけど、役場へ行くなり工場へ勤めるなり、その集落内ではなく、通勤圏内で職場を得て、そして所得があって、おばあさんたちが栗畑や自給的な野菜畑をやったりしている。そういう形で、完全に経済的な基盤はその集落にないですね。農業生産、林業生産は重要でない。しかし、自分たちがなれ親しんだところだからここで生きたいということなんです。そういうことで、かなりの集落が、老齢化が進んでもそういう状態で維持されているんじゃないかと思うのです。

そうなりますと、変な話ですけど、通勤圏内に職場をつくり出すことが、当面、集落を維持することになる。それで、ゆくゆくは後継ぎが帰ってこなかったならば、さっきおっしゃっていたように、老人世帯数が増えて、まず夫婦2人で住んでいた世帯のひとりが亡くなって、そしてもうひとりが亡くなるとそれで家が無くなるという形、歯が抜けるようになって集落が無くなる。ですから、無くなるまでの経済的な保障は、それ以外のところで考えることが必要だし、住んでいる人の生活や健康に対しては、やはり福祉政策でカバーする以外にない、そういう感じですね。だから、集落自身の経済活動を何とかしようというのは、山間部なんかですと非常に困難ですから、いくら農業を振興したってこれはもう難しい。そういう印象でした。

柴田委員長 私も印象を述べさせていただきますと、私は、群馬県の南牧村というのに行ったときには、青野先生と同じような印象を受けました。前は、何かコンニャクをつくってうんともうかっていたけどだめになったと。もうちょっと高崎に近けりゃいいんだけれども、ちょっと高崎は遠いと。しかし、近隣の町の下仁田町とか富岡市に通っている。ところが、北海道の鹿追町は平地農業地域で、それで牧畜をやっているとかそういうので、

 

 

 

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