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も片づくわけではない。だけど、し尿処理なんかは、広域的に扱うことによって1つの村ではできないものが処理できるようになっている。先ほどの統合も、こうした状況の変化を考慮に入れて検討する時期にきているんじゃないか、そんなことを感じました。

柴田委員長 ほんとうですね。最後になりましたが、小田切さん。

 

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小田切委員 集落をどういうふうにとらえるのかという話しで、行政側がとらえる集落と、実際に住んでいる人たちがとらえる集落というのは多少違うのかなという印象を持ってっています。集落の持つ機能に着目をすると、例えばお葬式をどういうふうに出すかというときに、かつては基礎的な集落の単位で出していたんだけれども、人が少なくなってくると、隣の集落と一緒にやったりとか、実際には住民のほうが、その機能が自分の集落で果たせないとなると、近くの集落と一緒にやって機能を維持しようとする動きは、むしろ行政よりも進んでいると思います。

例えば、私は島根県の羽須美村というところに行ったんですが、そこは広島県と隣接をしているんですが、羽須美村の本村から離れているところに2〜3戸残っている集落がありました。そこは、羽須美村の本村――当然、つき合いはあるんですが、何かあったきには数百メートル行くと広島県側に同じ名前の集落があり、実際はそちらとの結びつきのほうが強いという話なんですね。ですので行政的に見る集落と、あと地域の住民の人たちが自分たちがそこで生活していくための集落というのは、おのずと違う部分があるのではないかなという印象を持ちました。

それから、集落の機能が消滅をしていくという、その機能をどういうふうにとらえるかということがあると思うんですが、かつて、そこに生活している人たちはすべて農業で生活をしていたとか、農業と林業だけだったというときには、そこで暮らしている皆さんとも同じような性質を持った人たちが暮らしていたわけです。生産の場イコール生活の場であったがゆえに、テマガエという生産機能が集落の機能としてあるんだというふうに理解をされていたんだろうと思うんです。今は、働く場所にしても人それぞればらばらですし、かえって地域の中にとどまって残って、そこが生産の場として機能しているという集落のほうが非常に珍しくなってしまったんだろうと思うんです。そういう意味では、このような機能がなくなったというのは、ある意味では当たり前のことだろうと思います。

だから、ほんとうはもうちょっと生活のまとまりのところで機能というのがあったんだろうと思っていますが、それを、私たちはほんとうはそういうふうに見るべきだったのを、集落にその機能があるんだというふうに見ていた部分があったんじゃないかなというふうな気がしています。

 

 

 

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