の安家地区の場合ですが、そこでは、行政連絡員というのが町のほうからお願いをされて、地域のリーダーのようなお世話役をしているわけでございますけれども、昔ほどは信頼を受けていないこと。そういった地区の中でも、何か事が起きると小さなグループができて対立するようなことがままある。これは、非常に移転の障害になっておるということが、調査の中では出てまいりました。しかも若者は最も孤立している存在で、年寄りの人たちとは意識の上でもかなり離れておるし、同じような年代の仲間は少なく、どうしても孤立しておる。一方、老人は老人で、体力も落ちてくるので行動半径が狭くなってつき合いが狭くなるというようなことで、こういうのが過疎地区の一つの特徴でございましょうから、地域リーダーの存在、役割って非常に重要であるということを言っております。その対応策として、岩泉町の安家地区に共同浴場の設置を提案をしたとか、あるいは48年度に調査した長崎県上五島町の折島地区の集落移転の場合は、全世帯がカソリック信者ですけれども、これも、カソリック信者であるということを踏まえて、日ごろの日常の交流の機会と場があったということが大きな意味を持っているということで、この3番目の提言がなされているわけです。
それから4点目でございますが、参画の場の育成に努力すること。集落再編成が行政上の管理の効率化という観点から強調されることは、大きな失敗の原因である。なによりも対象者たちが自ら積極的に参画する場というものを具体化していかなければならないということを啓蒙しておるのでございます。
過疎問題の本質も、コミュニティの相互連帯の場がくずれ、住民が日常生活に不安をいだくようになったこと、生活や生産条件が孤立化して積極的な参画の場を失い、無気力な明け暮れに推移する傾向が強まったことにあると考えることができよう、ということでございますので、心の過疎というようなものも過疎問題の本質ととて大きく考えなければならないということに触れておるのかなというふうに思います。
そこで、若干の例として、上五島町の樽見地区では、遠洋漁業なので、地域に必ずしも執着しているような地域ではなかったということで、生活上、当時非常に不便なものですから、まとまって移転ということが可能であったというようなことがございました。鹿児島県の瀬戸内町の加計呂麻島というのがございます。奄美大島の本島ではなくて、その南に3つの島がありまして、その島の一つでございます。こういうところは,40歳以下の青壮年の大半が村落から離脱しているにもかかわらず、在来の集落編成はくずれようとはしない。これは、地域の共同体的な結びつきが非常にうまくいっている、強いところでございまして、そういうところでは必ずしも集落移転ということに結びつくようなところではなく、交通の便、通信の便をはかって、実質的に機能上の再編成をすすめることが望ましい例として調査報告がなされております。