
ここも過疎化の波は同じようにかぶったが、持ちこたえているのは、林業だけでなく多角的な農業経営をしていることが大きい。ことに畜産については系統のいい牛を導入して飼育しているが、ここでも若者たち(4人)が、共同研究しており、外出の折りなど、田をふくめて仲間の牛の面倒まで見ているのは本当に感心する。
最近はUターン現象もぼつぼつあり、若い者も戻っている。自分の息子は日曜日には訪ねてくれ、60歳になったら松山を引き上げてここに戻ってくれることになっている。孫は無理でしょうが。だから、自分はこの集落がなくなることはないと思っている、そういって長谷さんは話を終えた。
ここにあげたのは柳谷村に現在ある31の集落のうち3つだけであるが、他の集落でも重なり合う部分があろう。そしてわずかの事例からでも過疎化に耐える条件は、生業の複合化、多角化であり、なによりも村に留まる若者がいること、であることが知られよう。集落の継続はそれ以外にはありえないのである。
しかしこんにち多くの集落は危殆に瀕している。村長鶴井国夫氏との懇談でも、話題はこれまで見たような柳谷村の過去・現在そして未来に及んだが、行政側として取りうる過疎化対策としてあげられたのが、生活関連機能や施設を広域化することで、消防、ゴミ、し尿の処理、火葬場、老人ホームなどは久万町を中心に上浮穴郡五ヶ町村で協力してつくる。森林組合も合併、農協も進めているというものであった。先に見た基礎集落という概念に基づく集落の統合、再編成が、いわば行政単位(町や村)内での対策であったのに対して、これはそのワクをこえた広域的な対応である点に特徴をもつ。その意味では集落再編成論に通ずる機能主義といえるが、再編論とちがうのは、住民の生活に改変を加えるのではなく、集落の果すべき機能そのものの有効適