2. 産業の現状
柳谷村には森林が村域の9割をこえ(91.2%、面積にして11,517ha)、林業が当村の基幹産業となっているが、その歴史はさほど古いものではない。林業への関心が高まったのは、一つには明治25年(1892)に予土横断道路(現国道33号線)が開通し、材木の搬出ができるようになったことであり、加えて、伊予水力電気株式会社(現四国電力)による黒川水力発電所の設置の意味も大きい。明治42年(1909)6月のことであるが、誘致に当って交わされた協定書(第二条)のなかに会社からの寄付金を道路の改善とともに植林の経費に当てることが定められていたからである。
第二条 柳谷村ハ前条ノ寄附金ヲ以テ左記以外ノ事業ニ支出セザルモノトス。
一 右寄附金ノ内会社ヨリ受クル初年ヨリ五ヶ年間ハ、道路改修及修繕費、其他ニ関スル土木雑費ニ充スル事。
一 前同寄附金六年目ヨリ、向フ十ヶ年間分ヲ以テ植林ヲ為ス事。
但、植林地ノ買収植付後十ヶ年ノ手入費共他植林ニ関スル雑費ヲ支弁スルモノトシ、植林地ハ堰堤ノ上流ニ選定スルモノトス。
これによって村有林に限られたが林業の出発点である植林が本格的にはじまった。大正4年1月、村有林条例を制定、翌年から植林がはじめられている。以後第2次世界大戦中も伐採を免かれ、50年をこえる樹齢の桧など蓄積は大きい。昭和41年(1966)以後、たびたび林業構造改善事業の指定をうけ、貯木場や製材所などが設置され、機能しており、平成5年度に森林組合が扱った木材出荷量は8,720m3である。木材の取引きは第1次石油ショックまでは高値で行われていたが、以後は落込んでいる。木造建築への需要の後退に加えて安い外国材の輸入もあり、価格の低迷がこんにちに至るまで長期にわたって続いている。林業の労働力は農業従事者を兼ねることが多いので、後者の流出はそのまま林業を圧迫している。林業技術の保持者が農閑期に伐採出稼ぎに従うことも多く、のちにふれる土木労務のそれとならぶ出稼ぎの中心となっている。