村域の東部をかすめるようにL字型に湾曲して面河川(仁淀川)が流れ、これに沿って松山―高知間をつなぐ国道33号線が走り、落出はほぼその中間に位置する。これまでの歴史的経緯からも高知より松山との関係が深い。また黒川が曲折しながら村域(西谷地区)を南西から北東方面へと流れて面河川に合流するが、この川を遡及するように国道440号線が落出から高知県高岡郡梼原町へと通じており、この2つの国道が当村の大動脈となっている。
このうち33号線は、はじめ予土横断道路といい、明治19年(1886)に着工、明治25年に松山―高知間の全線が開通したが、面河川(仁淀川)の右岸から左岸へ移る落出には、はじめ渡船、ついで吊橋(大正10年)、さらにコンクリート大橋(昭和10年)が架けられている。松山―梼原をつなぐ国道440号線は、大正12年(1923)梼原・久万(上浮穴郡)線として県道に認定、昭和40年(1965)県道梼原・落出線として変更認定、昭和57年(1982)4月、国道440号線に昇格認定されている。このように道路の整備(表-1)は村民の悲願であり、年々進んでいるが、延長や拡幅、舗装あるいは落石防止など改良を要する個所は少なくない。それでも道路網の整備により長い年月にわたって負わされて来た当村の孤立性は次第に克服されて来たといえよう。しかしそれは同時に昭和30年代にはじまる過疎化への道ともなった。