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東和町は昭和30年(1955)4月、町村合併促進法により、大島郡東部の油田村・和田村・森野村・白木村の4ケ村が合併して東和町となりこんにちに及んでいる。それにともない大島(郡)は大島町・久賀町・橘町と東和町の4ケ町で構成されることになった。

東和町をふくめて大島4ケ町の歴史を大きく変えることになったのが、本土側の大畠との間に大島大橋が架けられたことである。それまで大島は本土から切り放された離島であり、昭和39年(1964)7月には離島振興対策実施地域に指定されていた。東和町はその大島の「島末」であり、あとにふれるが東和町の沖家室島の如きはその東和町のまた離島であった。離島たることからの離脱は島(町)民にとって永年にわたる悲願だった。

こことェー ここと大畠は 続きなら良かろェー

橋をェー 橋を架けましょ ヤンサ船橋をェー

とは、大島に古くから伝わる「亥の子」の行事でうたわれた歌の一節で、本土と陸続きになることの願いがこめられている。その悲願の達成されたのが昭和51年(1976)7月4日という日であった。

 

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大島に架ける橋(大島大橋) 手前 全長(橋梁部)1,200m

 

大島4町はもとより大島・柳井など周辺の町村、最終的には1県8市町村による期成同盟会を結成しての努力が重ねられ、調査期間をへて昭和46毎8月2日に起工式が行われている。こうして5年の歳月を要して完成した大島大橋は、総延長上1,876メートル、うち橋梁部1,200メートル、総工費99億円であった。当初は有料であったが、平成8年(1996)には通行料も無料となった。島に渡る人たちが激増したことはいうまでもない。これにともない昭和54年3月をもって大島4町は離島振興対策実施地域から解除された。なお沖家室島も昭和58年3月、沖家室大橋の開通により昭和60年3

 

 

 

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