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『舞台デザインを考える』

-プロセニアムアーチ劇場と野外祝祭劇-

大阪芸術大学教授 板坂晋治

 

1. 舞台美術のスタイル(具体対抽象)

舞台美術というのは役者のため、踊り・舞踊家のためにある。オペラでは歌手のためにある。そう言ったものではないかと思います。

画家は個人の芸術です。彫刻家もそうです。ところが舞台美術とか舞台照明とか、音響とかの関係は、個人の好みとか、個人の主張で成り立たない仕事なのです。共同作業というか、共同芸術の一つの方法があるわけです。もちろん企画という主旨があり、意図があり演出の考え方というものもあるわけですし。そう言うものを踏まえたうえで戯曲なり上演台本を読む。熟読して作品の中身をどういうふうにビジュアルに発展させてて行くかというのは美術の仕事なんです。

わたしは、装置を50年やってきていますが、舞台美術だけではだめで、美術と言う広い意味でポスターから、チラシから、いろんな意味で宣伝関係まで含めてトータル美術と言うことをやっていかなければいけないんじゃないかと思います。

最近いろんなところでチラシをたくさん見ますが、このチラシが本当に中身を表現してたものであるかどうかということもあるわけです。上演したものを見ると舞台装置がなくても照明あるだけの中身のものでも、美術的なイメージは全部出ています。これが作品の中身をどういう風に反映させるかということになると、舞台美術だけではなしに舞台美術を含めて宣伝美術も含めて一つの作品を表現する一貫したものがあってこそ前売りをする観客にウソをつかないことになるわけです。トータル美術と言うことに関して3年前姫路で「お夏清十郎」と言う創作オペラをやりました。それは、宣伝美術から舞台美術から衣装も含めた、メーキャップも含めた、そう言うものを全部担当したわけですけれども、舞台美術と言うものは、こうあるべきだと思います。今年もまた姫路の方では市民劇をやるわけなんですが、トータル美術として担当しています。

後で資料を見てもらって、その形の中からプロセニアムアーチ劇場とそうでない野外劇と言うふうなものに対して、それらの劇の性格によって舞台美術と言うものをどういうふうに進めて行くかと言う中身まで踏み込みたいと思います。まず、写実と反写実と言うことがどうして問題になると思います。テレビ・映画の場合は、テレビドラマ、劇映画と言うものは、基本的には写実、自然主義写実であり、写実だと思うんです。ロケーションを中心に考えたりするものもありますし、セットとロケーションを繋ぐということもあります。演劇の場合はイプセンとかストリンドベルとかチェーホフとかいろんな自然主義演劇、つまり生活のひとこまを切り取って舞台の上で上演すると言うふうな形の上では非常に写実的なものを要求されてきましたし現在もそういう形でやっている種類の演劇もありますけれどいくら写実でも自然主義であっても劇場のプロセニアムアーチの中へ収めるということに既にそこに簡略化ということが出てくるわけです。テレビのようにそのままのものを再現するということはないと思います。簡略化をするということは何を省くかと、それはその劇の中身に合わせて必要なものを残して、それが観客に対してどういうふうに反応するかと、劇の中に引きずり込む視覚的効果としてあるかということを考えるのが舞台装置だと思います。そういうふうな形の中でどうしても舞台では非写実的なものがあったりもちろん写実的なものがあるわけですが、何らかの形で単純化写実ということが行われるわけです。

「アンネの日記」と言うのがあります。芝居でも、映画でも、ミュージカルでもありましたが、映画の場合はアンネが隠れていた部屋というのはアムステルダムに残っているわけです。あの隠れ家が実際の三階と四階になる屋根裏部屋だけの展開なの出す。それはその中にナチスから逃れて隠れて、その中で何か月か生活したアンネの日記をもとにしてアメリカでベケットという人が脚本化した作品なんですけれど、その映画を見なすと、20年くらい前の映画ですけれど、その中では部屋

 

 

 

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