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『こだわり音響学プラス雑学』

(株)甲子社エイ・ブイ・シー 代表取締役社長 堀江正

 

1. こだわり『音響抄』-音響の現場から-

舞台の仕事にかかわるためには、舞台のしきたり、伝統を知識として身につけることが大切だと考えます。私もこの仕事にかかわるまでは、知識的に皆無に等しい状態でした。

そのため、先輩諸氏から指導を受け又独学で舞台の関わり方を吸収することにより、舞台人としての骨格が形成されました。本『こだわり音響妙』は、業界の技術誌に連載で掲載されたもので、舞台にかかわるための精神訓話に近いものです。本誌での舞台にかかわる初心として、皆様に何かのお役にたてばと考えます。

 

(1) 昭和30年代の音響マンの位置づけ

私がこの業界に入りましたのは、昭和33年丁度22才の若き任き時代でした。この業界についての知識は皆無といった状況でフェスティバルホールに入社しました。

フェスティバルホールのこけら落とし公演では、初めての出来事ばかりでその吸収には大変なものでした。

この頃は、音楽、演劇等の公演は、ホール中心の技術テクニックで、全ての催事がホールのエンジニアで対応されていました。

電気音響が舞台に参入したのが歴史的にみても、戦後のものといわれていますが、昭和30年代は舞台芸術における音響のジャンルが確立されようとした時代でもありました。

この頃は、ホール運営の主流をどのポジションが窓口となっているかで、舞台技術の対外的窓口が決まっていたようです。

先程も述べましたが、電気音響が舞台技術に本格的に参入したのは、宝塚等の商業演劇の例外は別として戦後の事ですから、舞台技術の位置付けにおきましても、舞台、照明が技術運営のイニシアティブを握っていたといえます。そのため、現在におきましても、このような風潮が残されているホールもありますが、舞台の歴史的背景からみても、就業構成人員からみても、その現状はやむを得ないものであると考えていました。

 

(2) ある出来事の教訓

ある日の出来事ですが、まだ私が現業に入って間のない頃、歌舞伎公演の中でSE出しがありました。SE出し用のスピーカをホリゾン前に移動出来るよう仕込みを終え、地明かりリハーサル、そしてGPに入ったところ、SEのキツカケで音をだしても、スピーカからは音が出ない状況となりました。

演出側からは何故音が出ないのかと矢の催促を受け、原因を調べたところ、ステージ上に布線してあるスピーカケーブルが見事に、ペンチのようなもので切断されていました。私は、このようなひどい事がどのような理由であれ許せない事だと判断、舞台責任者(棟梁)にクレームをつけました。そこでかえってきた答えは、言葉ではなく平手打ちであったのです。そして、この平手打ちの意味を知れといわれました。

私は、若さのあまりか、かなり反抗しましたが、スタッフの誰もが見知らぬそぶりにありました。その時は、平手打ちの意味が判らないままでしたが、冷静になって考えれば考えるほど平手打ちの理由が判りません。

応急処置の上リハーサルが終って気のついた事ですが、仕込み時は地明かりがありましたが、暗転処理で役者が下手に飛び込んでくる線上に、スピーカケ―ブルが無造作に布線されていたことが平手打ちの原因だと考えました。

 

 

 

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