は」って必ず言います。だから芸術の世界にはどのジャンルにおいてもゴールはありません。無いということを頭に入れておいてください。舞台芸術という者はそう言うものであるということでいいと思います。
例えば役者を例に取りましょう。役者が殺しの場面があるとするじゃないですか、殺すっていう行為は舞台の中、これは仮の空間ですからね、現実でじゃない。ここに現実があるとする、現実で殺人を犯したら捕まって処罰を受ける、下手すると死刑になる。舞台の中で殺しても何もない、この境目は、なにか。殺すと言う芝居のとき、動き、いろんなシュチエーションがあって、役者さんあたかも本当に殺したかのような演技をすればお客さんも喜ぶわけです。この役者、下手やというのは現実から離れれば離れるほど下手やということになる。みんなここで生きてますから。そしたら、この境目のラインに近づけたら近づくほど言いわけで、いかにして近づこうかということを芸術家というのは考えているわけです。ただ、表現方法においては、例えば、絵画においてはピカソのような三面表現と言ったもの、面に対して3カ所から見た絵をかく、そういう表現法方においてはまちまちです。
オペラ、バレー、芝居といろいろなジャンルがあります。それらを全部使って、僕はこの世界に近づこうとしているわけです。たまたまここへ近づいてしまえば、これは現実ですよね。舞台の中で本当に殺してしまえば、刺し殺したということになるわけでこれは芝居じゃないわけです。だからこの空間が狭まれば狭まるほど役者は名演技だということになると照明は、すばらしいということになります。
そしたらリアルなものがすべて良いのか、そうゆうわけではない、今もお話ししましたようにいろいろなジャンルがありますから、方法はいくらでもあります。自分であった方法を選んで行かなければいけません。舞台の現実と本当の現実とは必ず空いています。空いていなくてはいけないのです。だから芸術家にはゴールがないんです。我々もそうです。「いつまでたってもやっぱり基本がたらんなあ」とかね。「もとへかえりましょ」とかあっちいったりこっちいったり、これがおもしろくないと芸術がおもしろくないです。ですから、こういたことに「あっ、おもしろいやんか」と言う感じがもてますようになさればどうかという気がします。
まあ、照明屋ですから照明はこういったふうなことを照明の分野で援助ですわね。照明の場合は照明単独手というのは無いですから、必ずドラマがあって、台本があっていろんな要素、美術、音響、そのほか衣装、いろんなものがあってその中に照明があるわけですから、そう言った集団的に一つのものを創るという形のもの、その中の一つですからその中の要素を照明が担っているわけですからいろんな場所でいろんなジャンルを我々は照明としてかかわっている。それが照明なんです。
(2) 照明とは
そんなら、照明ってなんやねんということになりますが、次の照明とは、と言うところに入って行きましょう。
照明ってだれでもできるんです。子供でも、大人でも、おじいちゃんでも、おばあちゃんでもできます。照明って明るく照らすということだけなんです。後なんにもないんです。機械さえあればだれでもできるんです。だれにでもできて、だれにでもできないというのが照明なんですけれど、それじゃ何が難しいかといいいますと、明るさ、どんな明るさでというのは、これができないんです。方向性、どんな角度からと言うのが難しい。ただこれだけのことを照明屋は、やっているのです。
太陽はひとつですよね、これで皆、明るいわけですよね。太陽を劇空間、架空の空間の中では照明器具1000発とか5000発とか使ってあたかもそこに太陽が当たっているようなことを表現して行くわけです。それが非常に難しい。そのうえに照明だけが一人歩きできるというセクションではないわけですから必ず演出とか、作品に指揮を執ってる人がいるわけですからこの人の意向、演出方針に沿った明かりを作って行かなければだめなわけです。
自分の思考がいくら立派であっても、沿わない照明を作ってしまうと、それは間違った照明だ