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ただこれはね、目に見えるという、速効性のあるものじゃないから、多少の辛抱がいる。辛抱がいるけれども、気がついた時にそれを手につけないと、何時までたってもスタート出来ない。だから、今からでもいい、気がついた時にその方法を立てて多少サイクルを長くみて、その為に準備していく、そうすると、ね。おのずと、自主事業のやり方、そういうもののやり方が、だんだん分かってくる。
現に、その新田町は、今年は、もう制作、つまりプロデューサーは町民の方に、私はバトンタッチしてしまいました。ただ、後で私はアドバイスはしましたよ、予算の立て方から、交渉の仕方から。アドバイスはしたけれど、出来るだけ町のかた達が、自主的に出来るように、早く乳離れするように、私の知っているノウハウはドンドン教えて、ご自分立ちで計画立ててやれるように、これが、三年、四年経てば、完全にご自分達の力で出来るはずです。
そういうふうにして、やはり、ご自分達の力でやっていこうという事が、出来ないと、何時まで経っても自立出来ない。だから、今言ったように、私は出来るだけ、地域は地域のやり方をあみだして、それなりにやってっていただきたいなと思うのですね。
で、これは、公立施設の持っている役目というものが、確かに、良質の芸術を少しでも、安く、地域の方達に提供するというのが、一つの役目で、これは、今まで優れた世界的なアーチストを呼ぶとか、色々ありますよね。これも、一つの事業なんですけれども、片やこれは、公立の施設というものは、どういう役割を持っているかというと、民間に出来ない事をやらなくては、いけない。
つまり、民間の場合は、あくまでも興行が主です。興行に合わないものはやらない。興行にあうものだけをやる。だけれども、公立の文化施設は、そういう民間の手を出さない所にも手を差し伸べて、芸術文化の水準を高めるという使命もある。だから、コンテンポラリーのものをやるというと、何を、そんな難しいものをと、敬遠されてしまう。敬遠されるという事は、興行的に成功しません。興行的には成功しませんけれど、ある程度、そういうものにも、手をかす義務がある。
ただし、そういうものばっかしやっていても、赤字赤字で、その連続では、どうにもならないけれども、あと、それは、割合の比率の問題だと思います。ある面では、興行的に成功するものを選ぶ、と、同時にある面では、興行収支が合わなくても、そういうものを引き上げて、補助して、援助して、伸ばすという事も必要な事だ、これのパランスの問題。それは、もう常に、物事は、劇場、ホールを運営していくのに、日々、気付いた所、これが現実だという事がよく分かりました。だけれども、私は思います。どんな劇場ホールも出来上がって、これが完全だというホールはあり得ませんからね。
あくまでも、設計段階で良かろうと思って図面を引いて、建てたのでしょうが。これは建てていく途中のプロセスにも、問題はありますよ、現場の意見が反映されにくい。しかし、出来てしまったものは仕方がない。これを少しづつ少しづつ改良して、使い易い小屋にしていく。出来てしまったから仕方がないよおれ達が、とやかく言ってもしょうがないよ、と言ってしまたらおしまいですよ。
それは、民間の場合はまだ少し融通がきくから、私の時は、民間の時、そういうふうにしてね、一遍にはなおせないけれど、ここが不都合だな、扱いにくいなと、いったらば、じゃ、この部分は来年度の予算に、やれるように用意してこうよ。やり繰りが出来る。それが長年積み重なってくると、皆が、ああ、ここはいい小屋だねえ、使い易いよ、と言ってくれるようになるんです。
だから、かつて、私が日生劇場に居た時も、皆さん、本当に使い易いね、私たちは、毎年、毎年ですよ、あっちを直し、こっちを直し、そういったものの集積です、あの劇場は。
だから、ホールといえども、いま神奈川でも、そうですが、すこしでも使い難い所を如何に使い易くするか。これは、単年度の枠では、非常に制限があるから、大きな事は出来ません。でも、大きな事も視野の中に入れておかないとね、いつまでたっても、改善が進まない訳だから、それは、もう両方の視点で考えてはいますけれど。そういう事を考えながら、少しずつ、少しずつ、少しでも、手を加えれる所は、加えていく。
ですから、現に私は、やっぱり、私なりに、ここは不便だなという所は、何箇所か新しく、改善