れども、あちこちで、そういう小さな空間を使って、演劇、バレエ、踊りというものをやる動きになってきています。
ですから、ホールについては、例えば、国でやるものや道でやるものと、地域の市民会館、公民館、そういうところの役割があると思うのです。その役割をきちっと考えてやっていくべきかなと思っています。
そして、さっき助安館長が言ったように、今、見る側、お客さんの方が非常にレベルアップしてきています。テレビを見たり、札幌でも昨年「近松物語」をやったり、ロイヤルバレエが来たり、見るといったら大変な金がかかってしまうようなすごいレベルのものがどんどん来ています。そういうのが好きな人はどんどん見て、それを地域に持って帰って、こういうのはできないか、ああいうのはできないかというふうに地域の技術者に要望したりしてきているので、我々技術の方もどんどん勉強していかないと、見ている側に負けてしまうという状況が今出てきているのではないかと思います。
一つの会館ができると、ハードだけではだめだとか、ソフトは何をするのかとか、ソフト予算を組まなければとか、ソフトのわかる担当者を探せとか、いろいろな議論が行政側や市民不在のところであって、そこを一歩踏み出せないでいるというところが多いような気がします。
ですから、劇場ができ上がって何をしていくかというところで、最近は、例えば町民コンペをやって、どういう劇場がいいかというのは、行政の方の押しつけではなくて、町民コンペの中から立ち上がって、こういうのがいい、ああいうのがいいというふうに市民がどんどん参加してやっているところもあります。
それで、オープニングには何をやるのかというのは、昔は町長のあいさつがあって、三番叟の踊りがあって、シャンシャンと終わるようなオープニングが多かったのですが、最近はそれがなくなってきて、町で建てたのだから、市が建てたのだから、住民の人がとりあえず一番最初に舞台に立とうという動きになってきています。ほかの人に立たせたくない、だから我々で立とうということです。
北海道では100年というところが多かったのですけれども、構成劇をつくったりしています。去年、おととしも、新冠とか清里で構成劇が始まっていました。
構成劇なり歴史劇のよさは、当然のことながら、市民参加になってきて、応募してもらってやっていく。衣装はみんなお母さん方がつくって、大道具はお父さん方がつくって、おじいちゃん、おばあちゃんは、孫が出るから見に行くかといって、6,000人ぐらいの人口のところで2,000人ぐらいがオープニングにかかわってしまうということはすごいパーセンテージだと思います。札幌であんなことをやったら、70〜80万人の人が参加しなければいけないのかと思いますが、それが地方ではできている。札幌ではできないものがどんどんできている。
それと、さっき言ったように、劇場というところより、倉庫とか図書館を使う。図書館の小さな空間のところに幕を吊って、電源をちょっとふやして演劇をやったり人形劇をやったりする。あるいは廃校になった学校を使う。体育館があって、校長室があって、職員室がある。そこで楽屋もでき、スタッフの部屋もでき、舞台もある。そして、木造だから、ポーンとやると、3億円とか4億円も出したコンサートホールより、よほどいい音がする。何で劇場なんかをつくるのだろうかと私は思っていて、そういうところにピアノ1台運んでやったりしています。
ですから、見る人を感動させる技術というのは、機材とか機構とか照明とか音とか美術とかありますが、それはもちろん大事なことかもわからないけれども、もっと違う、もっと深いところにある。何もない空間のところだって、十分感動させる芝居なり催し物ができるわけで、それはやはり人々の心だし、そういうところから出てくるものがあれば、技術的なものがなくても、十分やっていけるかなと思っています。
それと、技術の人材ということになると、管理運営の会社を入れる、それと地域で開設して立ち上げるなど、三つぐらいの方法がありますけれども、地方で会社を立ち上げて、技術的には余りない人々が3人か4人で会社をつくって、ホールの中に入っていってやっているところもあるのです